「毎日、海を眺めてばかりいる少年と出会った。ほとんど学校に行ってないらしい。砂浜に座り、太陽の光を体いっぱいに浴びながら、あるときは泳ぎ、あるときは沖合に船を漕ぎ出し、漁をして、一日のんびり過ごしているのだという。その少年の目元が涼しかった。」この少年が気になりなぜ学校に行かないのかと尋ねると、なぜ行く必要があるのかと聞き返された。「立派な大学へ入るためさ」と答えると「立派な大学に入るとどうなる?」とまた聞き返される。立派な会社に勤めて高給がもらえ、幸せに暮らせると答えると、「で、それから?」と問い詰められる。それから…毎日のんびり、好きなことをして暮らせるようになるさと答えて、少年が高笑いをする。
哲学者の古東哲明さんの「瞬間を生きる哲学ー〈今ここ〉に佇む技法(筑摩選書)」からの抜粋です。この短いストーリーとても素敵だなと感じます。こんな文章と出会うと、「あれ、俺は何を求めて生きていたんだっけ?」などと自分を客観視できたりもします。私は性分なのか小さい頃からの刷り込みか、気がつくと歯を食いしばって何かを頑張ってしまう。あるいは頑張ってない自分を見つけると情けなくなったり、不安になったりしてしまう。
でもそれって本当に自分の求めている事へ導いてくれる頑張りだったのかな?自己満足の為の頑張りなのかな?。少年の高笑いが聞こえて来そうです。自分のフレームを取っ払ってくれる素敵な文章との出会い、今一度何の為に?なんて自分に問いかけてみようと思っています。