総合案内 | 0235-24-1048 |
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電話対応 | 8:00〜12:00/13:00〜17:00 |
定休日 | 日・祝・土曜不定休・年末年始 |
ここ1年で、体重が10kg増えた。
それを人に言うと、だいたい「そりゃ運動してないからでしょ」って返されるんだけど、いや、ちょっと待ってほしい。
それなりに筋トレは続けてたし、お酒も控えてた。暴飲暴食だってしてない。何なら、自分では「まあまあ気をつけてる方」だと思ってた。
それでも、10kg増。
こういうのが40代ってやつか。気合いや根性じゃどうにもならない領域に、知らぬ間に片足突っ込んでる。
とはいえ、ストイックに「今日から走るぞ!」なんて気合いが入るわけもなく。
でも今朝、なんとなく、体が外に出たがってた。寒いし、まだ眠かったけど、気まぐれに走ってみた。結果、走れたのは20分くらい。
最初の5分で膝が重くて、呼吸も怪しくて、「やっぱやめときゃよかった」と思ったけど、途中でちょっと景色が変わった。
サトザクラの並木道。
満開を過ぎて、花びらが風に乗って舞っていた。歩道はピンク色の絨毯みたいになっていて、立ち止まらずにはいられなかった。
そのとき、ふと頭に流れてきたのが、エレファントカシマシの「桜の花、舞い上がる道を」。
別に聴いてたわけでもないのに、自然と脳内で再生された。あの曲、きれいなメロディの裏に、どうしようもなさとか、それでも進むしかない感じがあって。
今の自分に、妙にフィットしてしまった。
昔は「やるならちゃんと続けろよ」とか「形にしなきゃ意味ない」とか、そんなふうに考えてたけど、最近は、「今朝はちょっと走れた」だけでまあ十分じゃないかと思ってる。
体が動いた。気持ちが少し上向いた。
それだけで、もう今日はよしとする。
また明日も走れるかどうかは知らない。
でも、今朝の空気と桜の景色と、あのエレカシのメロディは、なんだか心に残った。
そんな朝だった。
ゴールデンウイークが始まりましたね!
皆さん、どんなふうに過ごされていますか?
ここ鶴岡でも、街が少しにぎやかになっています。
当社にも朝からたくさんの方が粗大ゴミのお持ち込みにいらしています。
特に目立つのが、横浜ナンバー、大宮ナンバー(埼玉)、川口ナンバー(埼玉)、千葉ナンバー、野田ナンバー(千葉)など、県外ナンバーのお車!
きっと、帰省にあわせてご実家のお片付けをされているんでしょうね。
中には「これ、ずっと気になってたんです!」と笑顔でお話しされる方もいて、私たちもなんだか嬉しくなります。
ただその影響で、施設の前ではちょっとしたゴミ捨て渋滞が発生してしまい、皆さまにはご不便をおかけしています。
スタッフも一生懸命ご案内していますが、混雑時は少しお時間をいただくことがございます。
できるだけスムーズにご案内できるよう努めていますので、あたたかく見守っていただけると嬉しいです。
ちなみに、当社の営業はカレンダー通りとなっております。
4月30日(火)、5月1日(水)~2日(金)は通常営業していますので、お片付けついでのお持ち込みも大歓迎です!
お越しになる前に一度お電話で混雑状況を確認していただくと、よりスムーズですよ。
ゴールデンウイーク、せっかくの機会ですから、おうちも気持ちもスッキリさせて、楽しい時間を過ごしましょう!
皆さまのお越しをお待ちしています。
どうぞ良いゴールデンウイークを!5月18日(日)に山形県鶴岡市で開催される
「整理収納アドバイザーフォーラム2025 in 東北」に向けて、
先日、スタッフミーティングが行われました!
写真からも伝わるでしょうか?
皆、真剣な眼差しでホワイトボードに向かい、
メモを取りながら意見を交わし合う時間──。
それぞれの経験や想いを持ち寄って、
「どうしたら参加してくださる皆さんにとって、心に残る一日になるだろう」
そんなことを何度も何度も話し合いました。
今年は初の試みとして、仙台を飛び出し、山形・鶴岡での開催。
初めての土地でのリアル開催に、スタッフ一同、わくわくとドキドキを抱えながら準備を進めています。
テーマは
【災害に備える!職場の整理収納で作る企業の未来】。
万が一の時、大切な人や会社を守るために、今できる整理収納とは?
暮らしにも、働き方にも直結する内容です。
40代を迎えた今、
家族のこと、仕事のこと、未来のこと──
立ち止まって考えたくなるタイミングだからこそ、
きっと心に響くお話が待っています。
そして何より、
同じ想いを持つ仲間たちと出会えることも、このフォーラムの大きな魅力。
あたたかくて前向きな空気を、ぜひ一緒に味わいに来てくださいね。
まだまだ参加申し込み受付中です!
皆さんとお会いできるのを、心から楽しみにしています。
【整理収納アドバイザーフォーラム2025 in 東北 開催概要】
■ 日時
2025年5月18日(日)
10:30〜13:30
■ 会場
環境管理センター2F研修室
山形県鶴岡市宝田3-16-20
■ 参加費
・会場参加(一般・有資格者):3,000円(税込)
・アクティブメンバー:2,500円(税込)
・事後配信のみ視聴:2,200円(税込)
※会場参加の方は、後日配信の動画もご覧いただけます。
■ 第一部
特別講演:家村かおり氏
『整理収納はBCP対策や人材育成に繋がる』
〜実践幼稚園取組紹介と、コンサルで決めた指針紹介〜
■ 第二部
交流会
■ 主催
一般社団法人ハウスキーピング協会
■ お申し込み
協会ホームページ内「フォーラム特設ページ」より受付中!
■ お問い合わせ
整理収納アドバイザーフォーラム2025 in 東北事務局
Email: adforum.sendai@gmail.com
山形の新緑の中で、心に残る一日を一緒に過ごしましょう!
最近、名刺を交換する機会が減ったなと感じている。コロナ以降、仕事の打ち合わせもイベントもオンラインが増えて、「はじめまして」も画面越し。だから、名刺を出すタイミングがそもそも少なくなっていた。
なのに、ふと名刺入れを開けてみたら、あれ、もうこんなに少ない?と驚いた。今年の春は、いつもより名刺の減りが早い。ちょっと不思議な気分になった。
出会いが多かったのかもしれない。初めての場所に行くことが増えて、新しく会う人も多かったし、何より、自分から名刺を差し出す場面が増えていた気がする。いつもなら少し遠慮していたような場面でも、なんとなく自然に「よかったら」と名刺を出していた。
そう考えると、自分の気持ちが少し変わってきたのかもしれない。コロナで縮こまっていた心が、やっと動き出して、人とちゃんと向き合いたいと思えるようになってきたのかもしれない。
名刺ってただの紙だけど、それを渡す瞬間って、「あなたに興味があります」っていう小さなサインみたいなものだなと思う。この春、そんなサインをたくさん出していたんだなと、名刺の減り具合を見て感じた。
中学の3年間、軟式テニスに打ち込んだ息子。
高校では硬式に転向して、また一からのスタート。
正直、最初はどうなることかと思っていたけれど、案外楽しそうに練習に通っている。
気になって、久しぶりにコートへ足を運んでみた。
風が少し冷たくて、でもなんだか気持ちいい。春のにおいがした。
通りかかる部員たちが「こんにちは!」って、明るく声をかけてくれるのがうれしい。
いい雰囲気のチームだなって、それだけで安心する。
コートの向こうから聞こえてくる音。
「パンッ」「パンッ」──硬式特有の、乾いたあの音。
聞き慣れた軟式の“パコン”っていう音とは少し違がった。
息子はというと、硬式のスピードの速さに戸惑いながらも意外と集中していて、ちゃんと打ち込んでる。
フォームもややぎこちないけど、まっすぐにボールを追いかけてる姿にちょっとびっくりした。
思ってたより、ずっと真剣だ。
中学の頃は毎週のように練習や試合について行ってたけど、
今は少し離れたところから見ているのがちょうどいい。
その分、こうしてふと足を運んでみたときの嬉しさがある。
息子同様、またコートに戻って来れたのが嬉しい。
今日は地域の資源回収の日。年に数回のこの行事も、気づけばもう20年近く関わっている。朝の空気は少しひんやりとしていて、トラックの荷台が冷たく、心なしか町の景色も静かだ。
ここ数年、特に感じるのが「紙」の変化だ。新聞紙も雑誌も、明らかに減ってきている。情報の主戦場が紙からスマホやタブレットに移ったのは言うまでもないけれど、それにしても落差が大きい。かつての紙の山は、知識や娯楽の象徴だった。今はその役目を終えたように、ひっそりと段ボールの陰に隠れている。
その代わりに増えたのが通販の箱。Amazon、楽天、ヨドバシ……町の半分は段ボールでできてるんじゃないかと思うほどだ。中身はもうないが、ラベルからわかるのは「人とモノが直接会わなくても成立する暮らし」の姿だ。誰とも会わず、どこにも行かず、欲しいものは家に届く。便利だけれど、少しだけ寂しい。
面白いのは、時々混ざって出てくる古い漫画の単行本。今日は『魁!!男塾』に『孔雀王』。濃い。今のコンプライアンスに引っかかりそうな勢いが、むしろ新鮮だ。「こういう時代だったんだよな」と苦笑しながら束ねる。教科書や辞書もよくある。これはきっと、誰かが巣立った印だ。受験を終えた子どもが、親に「もうこれ捨てていいよ」と言った瞬間を想像して、少し胸が温かくなる。
回収を手伝うメンバーも、かつては“青年団”だったが、今や“人生経験豊富団”。作業中に飛び交うのは「肩がね」「五十肩かも」なんて健康話。でもその合間に、「息子が帰ってこなくてね」とか「この辺も空き家増えたなぁ」なんて呟きが混じると、あぁ、町も変わってるんだなと実感する。
そして、必ず誰かが言う。「そこの若いの、こっちも持ってってくれや!」。“若いの”と呼ばれる最後の世代として、私は今日もトラックの荷台に乗る。段ボールも漫画も辞書も、すべては誰かの暮らしの断片。そのひとつひとつに、地域の時間が詰まっている。
春の足音とともに、また総会シーズンがやってきた。スーツに身を包み、時間通りに集まる人々。議題は例年通り、進行も滞りなく。配布された資料には一応目を通すけれど、正直、内容は大きく変わらない。質疑応答も、予定調和のように短く収束する。
そして、その後に待っているのは、懇親会という名の“お付き合い”の場。名刺を交換し、「お久しぶりです」と笑顔を交わす。数年前、コロナの影響でこうした集まりが軒並み中止になっていた頃には、「正直、なくても困らないかも」と思っていた。むしろ、予定が空いてホッとしたくらいだった。
でも、いざ元通りに再開されてみると、「ああ、この人に会うのも久しぶりだな」と、顔を見て自然に笑みがこぼれている自分がいる。特別に親しいわけではないけれど、ここでしか会えない、ここでしか話さない人たち。何気ないやりとりの中に、ちょっとした懐かしさや安心感が滲んでくる。
たしかに、すべてが必要だとは思わない。惰性で続く「お決まりのパターン」には、見直す余地があるとも感じている。コロナ禍という一時停止の時間を経て、本当はもっと柔軟な形を模索することもできたはずだ。けれど、慣例を変えることはそう簡単ではない。「変えよう」と声を上げることには、思っている以上に勇気が要る。長年続いた空気は、一人の力ではなかなか揺るがない。
だから結局、今年もまた時間通りに集まり、議事をこなし、「お疲れさまでした」と拍手をする。ほんの少しの違和感を胸に抱きながら。でもその帰り道、「やっぱり、顔を合わせて話すっていいな」と、ふと感じる瞬間もある。
変わらないことの安心と、変えられないことへのもどかしさ。そしてその間にある、小さな喜びや再会の温かさ。そんなものが入り混じった春の一日が、また静かに過ぎていく。
気持ちがざわつく・ガサガサする日は、整理をする。理由がはっきりしなくても、なんとなく落ち着かない日こそ、身の回りを整える。
ほんの少しのイライラや、細かいことが気になって仕方ない日は、片づけのタイミングだ。書類をまとめ直す。読み終えた本を本棚に戻す。たったそれだけでも、頭の中にスペースができる。
整理をすると、小さな達成感が生まれる。目に見える部分が整うと、気持ちも落ち着いてくる。ああ、自分はちゃんとやれている。そう思えるだけで、次の一歩が少し軽くなる。
今日はできなかったけれど、側溝掃除をしようと思っていた。冬の間に詰まった泥を掻き出して、水の流れを戻す作業。目立たないし、面倒にも感じる。でも、やってみると意外なほど気持ちがいい。詰まりが取れて、水が流れ出す音を聞くだけで、自分の中までスッと通る気がする。
片づけも掃除も、自分の調子を整えるための習慣だと思う。暮らしの中で、気づかないうちに溜まっていたものを、少しずつ手放していく。心の中に静けさを取り戻すために、余白をつくる。
毎日をうまくやりくりしているつもりでも、知らないうちに抱えすぎていることがある。だからこそ、気持ちがもつれそうな時は、まず身の回りから整える。モノを手放すことで、余計な考えや感情にも距離を置けるようになる。
「手放すと楽になるのは分かっているのに、どうしても手放せない。」
そんな場面に、私は何度も立ち止まってきた。自分の中にある「こうでなければ」というこだわり。ときにそれは、理想や信念として私を支えてくれるけれど、反対に人との間に壁をつくったり、自分自身を苦しめたりもする。
たとえば、仕事のやり方や生活のスタイル。こうあるべき!とかこうありたい!という想いの強い私は、周囲の人とテンポが合わずに戸惑うことがある。心の中では「もっと柔軟になったほうがいい」と思いながらも、こだわりを手放すことに抵抗があるのだ。それはまるで、自分らしさを手放してしまうような感覚にも近い。
けれど、すべてのこだわりが悪いわけではない。問題は、そのこだわりが自分や周囲を縛りつけるような“固さ”を持ってしまったとき。大切なのは、こだわりを持つことそのものではなく、それを「どう扱うか」なのだと思う。頑なに握りしめるのではなく、手のひらにふんわりと載せて、必要なときにだけ使う。そんなバランス感覚が、今の私には必要だ。
こだわりを持ちながらも、状況や相手に応じて柔らかく動く。そこには少し勇気が要る。でも、頑固さを手放すことは、自分自身を否定することではなく、自分をより自由にしてあげることでもある。そう思えるようになったとき、対立の中にも少しずつ余白が生まれてくる。
最近、『宇宙兄弟』にハマっています。15年以上前に連載が始まった漫画ですが、物語の舞台はまさに“今”——2025年。そんな時代設定も相まって、不思議と現実の自分の暮らしや価値観と重なる部分が多く、ぐいぐい引き込まれています。
物語は、子どもの頃に「一緒に宇宙飛行士になろう」と誓った兄弟が、大人になって本当に宇宙を目指すというストーリー。弟のヒビトはすでにNASAの宇宙飛行士、そして兄の六太がJAXAの選抜試験に挑戦するところから物語が本格的に動き出します。
今私が観ているのは、六太が第三次選抜試験に挑むシーン。宇宙船を模した閉鎖空間で二週間、他の受験者たちと共同生活を送りながら、判断力や協調性、そして人間性を試されるという、精神的にも身体的にも過酷な試練です。
このシーンを観ながら、ふと感じたのは、「これって、私たちの日常とそう変わらないのでは?」ということ。職場という名の“閉鎖空間”でのチームワーク、家庭という小さな社会での役割分担。限られた人間関係の中で、それぞれが役割を担いながら成果を出し、日々を回していく。その過程には、時にストレスもあれば、理解し合うための努力も必要で、誰かとの衝突も避けられない。
だからこそ、六太の姿勢が心に残ります。失敗しても、自信がなくても、周囲の人と向き合いながら、地に足のついたまま夢を追い続けるその姿に、勇気をもらえるのです。宇宙という果てしない世界に向かって進んでいく物語の中で、描かれているのは、実はとても現実的で身近な「人との関わり方」なのだと気づかされました。
仕事で名古屋に来たこの機会に、少し足をのばして伊勢神宮へ参拝してきました。最初は内宮だけを訪れる予定だったのですが、取引先の方から「伊勢では外宮から内宮へまわるのが正式な順番なんですよ」と教えていただき、せっかくならと早朝5時に外宮から参拝を始めることにしました。まだ町が静まり返っている時間帯、澄んだ空気のなかを歩きながら、朝の光に包まれるように内宮へ。五十鈴川の清らかな流れと、神域の空気に触れていると、自然と呼吸もゆっくりになっていくようでした。
伊勢神宮を訪れるのは、実は今回が二度目。最初は小学校6年生の春休み、祖父母に連れられて訪れた思い出があります。観光地というより、「特別な場所」という雰囲気に少し緊張しながら、祖父母のあとを歩いた記憶。建物の印象はほとんど残っていないのに、不思議と覚えていたのが、深くて暗い森と、空を遮るほどに高く伸びた木々。そのときの感覚が、今回外宮を歩いていて「ああ、この風景だったんだ」と、ふっとよみがえってきました。
あの頃の私は12歳。今はもう人生の折り返し地点を過ぎ、祖父母もすでにこの世にはいません。それでも、あのとき私が感じていた空気や風景が、変わらずそこにあることに、静かに胸を打たれました。あの森の中で、手を引かれて歩いた私と、今ひとりで歩く私が、どこかで重なるような不思議な感覚。
思い出がつまった古い家具や道具たち。
それらをただ「処分」するのではなく、丁寧に引き継ぎ、新たな物語を紡いでいく——そんな場所が、町屋カフェの空間に誕生します。
家族の歴史を見守ってきた箪笥、祖母のぬくもりが残る食器、時を超えても色褪せない趣き。
それぞれの道具がもつ“想い”を大切にしながら、次に必要とする誰かへと手渡していく、循環のかたちを私たちは育てていきます。
カフェでほっと一息つきながら、ふと目にとまる器や椅子に、かつて誰かの暮らしが感じられる——
そんな風に、日常の中で「懐かしさ」や「丁寧なくらし」に触れられる場所にしていきたいと考えています。
あわただしい毎日の中で、少し立ち止まり、自分の歩んできた時間やこれからの暮らしに想いを巡らせる。
そんな小さなきっかけになることを願って。
息子から「ネクタイの結び方を教えて」と言われて、やっぱり嬉しかったですね。
私が父にそれを教えてもらったのは、たしか高校を卒業して、初めてスーツを買ったときのこと。いろんな結び方がある中で、いまだに私はその時教わったやり方を守っています。だから今回、息子に伝授したのは、私が父から受け継いだネクタイの結び方。そう話すと、息子も「ふ〜ん」と、ちょっとした“歴史”のようなものを感じていたようです。
40代になってようやく、スーツやネクタイ、靴下の色やデザインのバランスが少しずつ分かってきました。でも、若い頃は自分のセンスだけで揃えようとすると、とんでもなくチグハグになるんですよね。だから最初の一着は、父に選んでもらうのが正解でした。
今回、息子は制服のネクタイだったのでスーツ選びまではいきませんでしたが、きっと3年後、高校を卒業する頃には、彼のためにスーツを選ぶ日が来るはず。そのとき、どんな表情で鏡の前に立つのか、今から楽しみです。
私が父に選んでもらったのは、ミディアムグレーに、細く水色のストライプが入った、バーバリーのスーツ。それはもう、自分でも惚れ惚れするほどかっこよくて。あのときの父の誇らしそうな顔を、今でもはっきりと覚えています。
こうして受け継がれていく“父と息子の一着”には、ただの布以上のものが宿っている気がします。
あの日のあのスーツのように、きっと彼の記憶にも、今日のこのひとときが残ってくれたら、それだけで、十分です。1. 年齢は「首」に出る
2. 苦労は「手」に出る
3. 美意識は「爪」に出る
4. 清潔感は「髪」に出る
5. センスは「服」に出る
6. 本音は「仕草」に出る
7. 生活は「体型」に出る
8. 自信は「歩き方」に出る
9.覚悟は「顔つき」に出る
10.育ちは「食べ方」に出る
11.ストレスは「肌」に出る
12.人間性は「他人への態度」に出る
13.愛情は「笑顔」に出る