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人生で一番怖いのは、「偉くなること」なのかもしれない。
人は本来、それぞれが尊い存在だ。
だから本当は、誰かより偉くなる必要などないのだと思う。
けれど立場が上がると、「偉さ」というものが静かにまとわりついてくる。
すると不思議なことに、自由に動けなくなる。
弱音を吐きにくくなる。
間違いを認めにくくなる。
人の気持ちに鈍感になる。
そして、人への要求だけが高くなっていく。
それは本当に良いことなのだろうか、と時々立ち止まって考える。
偉さとは、案外、自分をがんじがらめにする鎧のようなものかもしれない。
そんなことを思い出すたび、昔、師匠がよく口にしていた言葉が浮かぶ。
「先生と言われるほど、バカではない」
当時は少し照れ隠しのようにも聞こえたが、今なら分かる気がする。
「先生」と呼ばれる場所に安住しないという覚悟の言葉だったのだろう。
人からそう呼ばれた瞬間に、学ぶ側から教える側へと立場が固定されてしまう。
すると、問い続けることが難しくなる。
けれど本当に大切なのは、学び続ける側に立ち続けることではないか。
偉いと言われることよりも、昨日より少しだけ分かるようになること。
人の話をちゃんと聞けること。
分からないと言えること。
その方がずっと自然で、ずっと自由だ。
だから私は思う。
偉いという鎧など、まず捨て去ろう。
軽くなった分だけ、人に近づける。
そして少しだけ、自分にも正直になれるのだ。
ゴミというものは、いっしょくたに語られがちだが、実にいろいろなことを教えてくれる。
この時期は、鼻をかんだティッシュが多い。花粉の季節だとわかる。
そして今は、引越しゴミのピークでもある。
卒業式も終わったのだろう。
山形大学の学生らしい若者たちが、次々とゴミを持ち込んでくる。
使い込まれた家電や、少しだけくたびれた家具。
数年分の暮らしが、軽トラックの荷台に積まれている。
終わりと始まりが、同時にやってくる季節だ。
では、もうすぐやってくる運動会の季節は、何が教えてくれるのか。
それは、湿布のセロファンだ。
子どもは貼らないだろうから、にわかに頑張ったお父さんの姿が思い浮かぶ。
普段は走らないのに、リレーではつい本気になってしまう。
翌朝、足に違和感を覚えながら、苦笑いで湿布を貼る。
その証拠が、ゴミ袋の中にそっと残る。
学生たちの引越しゴミが「別れ」を運び、
湿布のセロファンが「奮闘」を伝える。
どちらも、ほんの一瞬の出来事なのに、
ゴミはそれをきちんと受け止めている。
誰にも気づかれないかもしれないが、
確かにそこには、人の暮らしがある。
そんな季節が、またやってくる。
ゴミは偉いのだ。
人生というのは、なかなか面白い。
先日、妻がふと
「なんか当たる気がするんだよね」
と言い出して、人生で初めて宝くじを買ってみた。バレンタインジャンボ。
正直、ほとんど期待はしていなかった。
ところが昨日、結果が発表されて、何気なく確認してみると——
3等、五万円。
思わず二度見した。
ありがたいな、と素直に思う。
…と、ここまではよかったのだけれど。
同じ日、もう一つの知らせが入る。
娘がインフルエンザB型。
友人と楽しみにしていた卒業旅行。
それが、まさかの延期(キャンセル手続きの嵐)。
五万円の当たりと、旅行の延期。
こういう時に思い出す言葉がある。
禍福は糾える縄の如し。
そして人間万事塞翁が馬。
良いか悪いかは、今はまだ分からない。
どちらも、途中の出来事だ。
裏も表も、全部ひっくるめて人生。
私には
「賛成の反対なのだ。」
という、バカボンのパパの名言がしっくりくる。
昨日は久しぶりにお墓参りに行ってきた。
以前は月に一度は行くようにしていたのだが、昨年、庄内でも熊の出没が話題になってからというもの、つい足が遠のいてしまっていた。
もし出くわしたらどうしよう。
そんな理由をつけて、気がつけば半年も経っていた。
久しぶりのお墓は、特に変わった様子もなく、静かにそこにあった。
花を供え、手を合わせる。
たいしたことはしていないのに、不思議と心が少し整う。
やっぱり、こういう時間は大切なのだと思う。
その足で、クローゼットの整理もしてみた。
季節の変わり目ということもあり、薄手のコートやレザーバッグなど、最近出番の少なくなったものをまとめてリユースショップへ持ち込んだ。
結果は、およそ二万円。
思ったよりいい値段がついた。クローゼットの中もすっきりして、ちょっとしたお小遣いまで生まれるのだから悪くない。
季節の変わり目にリユースショップを活用するのは、なかなか良い方法だと思う。
減らした分、新しいアイテムとも出会える。ということで、吟味に吟味して、新しいブリーフケースを買うことにした。
物は増やすだけでは、暮らしは重くなる。
ときどき減らして、風を通す。
そうすると、不思議と次の出会いも入ってくる。
半年ぶりのお墓参りと、クローゼットの整理。
やったことはどちらも「少し整える」ということなのかもしれない。
春は、そんな小さな入れ替えをするには、ちょうどいい季節だ。
人は歳を重ねると丸くなる、と言う。
自分はどうだろうかと考えてみる。
プライドがなくなったかというと、きっとそんなことはない。
量は昔と同じなのだと思う。
ただ、扱い方が少し変わった気はしている。
昔は小さな鍋で煮ていたから、
すぐに煮立ってしまった。
今は少し大きな鍋になったのかもしれない。
それともローリエを一枚入れて、臭みを取る調理法を覚えたのか。
どちらにしても、
少し扱いやすくなった気はしている。
対人関係の中で、
自分の小さなプライドに気づくことがある。
特に、自分がどこかで下に見ていた人から
指摘されたときだ。
その瞬間、心の中で反発が生まれる。
「そんなこと言われる筋合いはない」
そんな気持ちが一瞬よぎる。
でも同時に、
「ああ、今いいカッコしようとしたな」
「いらないプライドだな」
そう気づく自分もいる。
プライドそのものは、きっとなくならない。
ただ、それを認知できるかどうか。
それが大事なのだと思う。
気づけば、少し修正できる。
気づかなければ、そのまま反応してしまう。
整理の仕事をしていると、
整えるとは、物を減らすことだと思われがちだ。
しかし本当は違う。
まずは
そこにあることに気づくこと。
そこから整えることが始まる。
人の心も、
案外同じなのかもしれない。