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環境管理センターブログ

2025/12/18
761/100 偉い、という二面性   

「偉い」という言葉には、

最初から二つの顔がある。

ひとつは、

行動に向けられる「偉い」。

続けている。

逃げずに向き合っている。

結果はともかく、ちゃんとやっている。

こういう場面で使われる「偉い」は、

人を前に進ませる言葉だ。

もうひとつは、

立場や自己評価に向けられる「偉い」。

もう分かっている。

ここまで来た。

教わる必要はない。

この「偉い」は、

少しずつ人を止めていく。

ややこしいのは、

同じ言葉なのに、

向きが変わるだけで意味が反転することだ。

人は誰でも、

自分を偉い場所に置きたくなる。

それ自体は自然なことだ。

ただ、その場所に居座り始めると、

空気が変わる。

質問が減る。

違和感が共有されなくなる。

そのうち誰も、

服の話をしなくなる。

裸の王様が生まれるときは、

たいてい静かだ。

偉さをまとおうとする行為は、

成熟ではなく、むしろ幼さに近い。

成熟している人ほど、

自分を「偉い側」には置かない。

分からない場所に立ち続ける。

「偉い」という言葉は、

使い方ひとつで、

背中も、足も止めてしまう。

だからこそ、

行動に向けて使うのがちょうどいい。

立場を守るための言葉になった瞬間、

その偉さは、

幼さに変わる。


2025/12/16
759/1000 その「やめない」は、選択だろうか   

やめることを、ネガティブに捉える人は多い。

やめた瞬間に、逃げたとか、負けたとか、そんな評価が貼られてしまう空気がある。

世の中ではよく

「打つ手は無限にある」

と言われる。

確かに、工夫すればできることはまだあるかもしれない。

やり方を変えれば、状況が動く可能性もある。

けれど、その言葉の裏で、

実は何も決断せず、ただ時間をやり過ごしている場面も少なくない。

打つ手は無限だと言いながら、

本当は手を打たず、

決断を先延ばしにしているだけ。

やめないという選択をしているようで、

実は何も選んでいない状態だ。

やめることは、簡単ではない。

これまで積み上げてきた時間、労力、関係性、期待。

それらを一度立ち止まって見つめ直す必要がある。

だから人は、

「もう少し様子を見よう」

「次はうまくいくかもしれない」

そう言って、今日を繰り返す。

それ自体が悪いわけではない。

続けることでしか見えない景色も、確かにある。

ただ、続けることが

思考停止になってしまう瞬間があるのも事実だ。

やめることは、逃げではない。

中断は、敗北ではない。

大切なのは、

やめるか、やめないか、ではない。

自分はどうなりたいのか。

そこを、しっかりと見つめているかどうかだ。

そのうえで、次の手を打つ。

その選択が「やめる」という決断であるなら、

それは大いに、実行する価値がある。

続けることにも、やめることにも、エネルギーがいる。

だからこそ、

目指す先を見据えたうえで選んだ決断には、意味がある。

やめるという行為を、

もう少し正面から評価してもいい。

それは後ろ向きな選択ではなく、

前に進むための、ひとつの確かな判断なのだから。

2025/12/14
757/1000 なかなかいい忘年会   

昨日は会社の忘年会だった。

コロナ以降、こうした集まりの参加率はだいたい半分くらいだったが、

今年は28人中25人。

ほぼ9割のスタッフが顔をそろえた。

正直、それだけで十分うれしかった。

今の時代、社内の飲み会は敬遠されがちだ。

無理に集まらなくてもいい、という空気もある。

だからこそ、これだけ集まってくれたという事実は、

それだけで意味がある気がした。

特別なことは何もしていない。

余興もなければ、長い挨拶もない。

同じものを食べて、飲んで、

普段はゆっくり話せない人と、ぽつりぽつりと言葉を交わす。

ただそれだけの時間だ。

今回は、ひとつだけ自分なりの試みをしてみた。

お酌をして回ったのである。

これまでは、ほとんどやってこなかった。

今の時代に合わないかな、とか、

かえって気を遣わせるかな、とか、

そんなことを考えて、自然と距離を取っていたのだと思う。

けれど今回は、あえてやってみた。

席を立って、グラスを持って、声をかける。

たったそれだけのことなのに、

自分の中では少し勇気が要った。

やってみて分かったのは、

お酌というのは何かを演出する行為ではなく、

ただ自分から一歩、相手の輪の中に入っていく行動なのだ、ということだった。

仕事の話はほとんどしなかった。

深い話もしない。

それでも、グラスを合わせて

「お疲れさまです」と言葉を交わすだけで、

場の空気が少しゆるむ瞬間があった。

忘年会が終わり、静かになった店を出る。


肩肘張らないなんかいい忘年会だったな。

来年はもっといい年になりそうだ。

2025/12/12
755/1000 体の玄関を整えるという話   

今年はインフルエンザが流行っているらしい。

ニュースでも、ラジオでも、やたらと耳にする。

実は当社でも、ちょっと厄介な症状が出ている。

熱が下がらない。

けれど、検査をするとコロナでもインフルエンザでもない。

いわゆる「カゼ」なのかもしれないが、どうにもすっきりしない。

本人も周囲も、なんとなくモヤモヤするやつだ。

予防については、もう耳にタコができるほど言われている。

手洗い、うがい、マスク、睡眠、栄養。

どれも大事なのは分かっている。

そんな中、今朝ラジオを聴いていて、ふと気になる話があった。

それは「口腔内のケア」。

口の中の環境を整えることが、感染症の予防につながる、という話だった。

ウイルスや細菌は、鼻や口から体に入ってくる。

つまり口の中は、体の“玄関”のような場所だ。

思えば、家の片付けも玄関から、というのは鉄則だ。

いきなり奥の部屋を触っても、うまくいかない。

まずは出入り口を整える。

空気の流れをつくり、人を迎える準備をする。

口腔内も、きっと同じなのだろう。

玄関が散らかっていれば、良い空気は入りにくい。

口の中が荒れていれば、体も余計な仕事を抱え込む。

予防とは、敵を完全に遮断することではなく、

体がきちんと戦える環境を整えること。

そう考えると、少し腑に落ちた。

やることは難しくない。

寝る前に、いつもより丁寧に歯を磨く。

歯茎をいたわるように、力を入れすぎない。

うがいを一回多くする。

それだけでも、玄関はずいぶん変わるらしい。

片付けもそうだ。

劇的な変化は、たいてい地味な一歩から始まる。

大げさな対策より、地味な習慣を。

体の玄関を整える。

そんな当たり前を、もう一度大切にしたいと思った。


2025/12/10
753/1000 毎年忘れるくせに、ちゃんと覚えている日   

毎年、この 大黒様の日 が近づくと、実家の母はそわそわし始める。

びっちり子を抱いたハタハタを魚屋さんに頼み、味噌田楽に仕上げてもらう。

台所では、コトコトと納豆汁の鍋が湯気をまとい始める。

ここ庄内では、12月9日は「大黒様のお歳夜(おとしや)」 と呼ばれる。

大黒様は、農の神さま、五穀豊穣や家内安全をもたらす“働き者の神さま”。

そしてこの日は、

「大黒様が年を越し、妻を迎える」 とされる特別な夜。

そのため豆や大根、ハタハタなど縁起の良いものをお供えし、

家族も同じ料理を食べて一年の無事に感謝する。

庄内に生きる人間にとって、季節の節目を知らせる大切な行事だ。

しかし、私たち家族は、その料理ができあがるのをただ「いただくだけ」。

だからだろうか。

毎年、忘れる。

母から事前に連絡がある。

「12月9日、分かるだろ」

と、念押しのように、しかしどこか嬉しそうに。

12月になると、仕事の予定やら会合やら、どうでもいい細かいことばかり覚えているくせに、

肝心の“母の大黒様カレンダー”だけは、毎年ぽっかり抜け落ちる。

そして今年もまた、その味をいただく。

子どもの頃から食べてきた、あの変わらない味。

やっぱり、うまい。

ふと、思う。

母がいなくなったら、この味はもう食べられないのだろうか。

毎年毎年、一度はそんな想像をして、また来年には忘れてしまう。

忘れるくせに、ちゃんと覚えている。

覚えているくせに、つい忘れてしまう。

大黒様のおとしやは、そんな不思議な日だ。

母が生きてくれているという当たり前のありがたさを、そっと教えてくれる“味噌田楽の味”でもある。

そしてこれは、

家族の幸せを支え続けてきた、母のプライドでもあるのかもしれない。
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