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  1. 環境管理センターブログ
 

環境管理センターブログ

2025/11/29
743/1000 経営の根っこにあるもの   

これは、ある著名なコンサルタントが講演後のオフ会でポツリと言った言葉だ。

「どんな時代でも業績がいい会社は、スタッフ同士の仲がいい会社なんですよ。」

力んだ講演でもなく、資料に基づく説明でもない。

ただの雑談の中から自然に出てきた一言だからこそ、妙に胸に残った。

ただ、その“仲がいい”という言葉。

人によって意味も解釈もさまざまだと思う。

ここから先は、完全に私の主観だ。

仲が良いとは、心の根っこに“ありがとう”があること。

ありがとう、助かったよ。

ありがとう、気づいてくれて。

ありがとう、今日も来てくれて。

この「ありがとう」がある職場は、不思議と空気が軽い。

ミスしても責めるより先に、どうしたら防げるかを一緒に考える。

情報が流れ、変化に強い。

結局、感謝のある環境は改善が速いのだ。

でも──。

本当に大切なのは、ここからだと思っている。

経営者自身の心の根っこに、大きな「ありがとう」があること。

これが最も大切だ。

ありがとう、この会社に来てくれて。

ありがとう、今日も働いてくれて。

ありがとう、私に力を貸してくれて。

ありがとう、ついてきてくれて。

この“経営者のありがとう”が揺るがない会社は、強い。

なぜ強いかというと、スタッフが感じる安心感が違う。

人は、感謝してくれる人のために力を出す。

組織は、トップの心の状態を正直に映す。

経営者の心の奥に感謝があるかないか──

それだけで会社の空気は変わり、業績すら変わる。

制度や仕組みももちろん大事だ。

けれど、それを動かす“心”が摩耗していたら、どんな立派な計画も回らない。

だから私は今日も、スタッフの顔を思い浮かべながら思う。

ありがとう。

あなたたちがいるから、この会社は前に進んでいる。

そしてその感謝の気持ちこそが、

経営のいちばん深い“根っこ”なのだと実感している。

2025/11/27
741/1000 女将が辿り着いた境地   

所作とは、相手への信頼を形で示すこと──

老舗旅館の女将さんは、そう教えてくれた。

叩き込まれたのは、その所作。

所作とは「相手に“影”をつくらないことなのよ」

と女将さんは言う。

しかし、時代は変わった。

宿帳はフロント一括。

料理は大広間のテーブル席。

お茶出しも不要になった。

すべては合理化の改革だ。

変わらなければ生き残れない。

けれど、戸惑ったのは所作を誇りにしてきた熟練スタッフだった。

静かに部屋へ入り、影を作らずに動く──

そんな技が、大広間では活かしづらい。

女将さんはいう「時代の変化がいいのか悪いのか、それは私にも分からないのよ」と。

でも、人が大事にしてきたものが霞んでしまう瞬間もある。

話の最後に、女将さんは静かに言った。

「いろんな時代を乗り越えて、人を育ててきて、ようやく分かったのは。

 人を育てるってね、一緒に歩んでいくことなのよ」

時代やスタッフに対して、「一緒に歩んで行くこと」これこそが女将が辿り着いた境地なのだ。

2025/11/25
739/1000 感じたままに世界は立ち上がる   

先日、ラジオで興味深い企画を聴いた。

「全盲の方と一緒に美術館を鑑賞する」というものだ。

この鑑賞には一つルールがあるという。

“作品のタイトルや注釈を見ずに、感じたままを言葉にする”。

知識ではなく、まっさらな感覚だけで絵と向き合う。

その姿勢が、なんだか新鮮だった。

説明を聞いているうちに、私はふと「これは本を読むのと同じだな」と思った。

本に載っているのは文字だけ。その文字を頼りに、頭の中で景色や人物の息遣いを自然と描き出していく。

つまり“意味付けされた説明”ではなく、“自分の解釈”が世界を作っていく。

ちょうどこの前、ある資料を読んでいたら、

小中高生の半数以上が一日の読書時間ゼロと答えているという調査が載っていた。

今のスマホ時代を象徴する言葉として「Brain Rot(脳腐れ)」という表現まで出てくるほどだ。

ショート動画は、確かに気楽で面白い。

けれど、あれは“見せられる世界”。

こちらの想像力をほとんど使わない。だから気づくと、時間だけがスルッと消えている。

一方で、本を読むという行為は、

あの全盲の美術鑑賞のルールのように、

自分の言葉で世界を立ち上げる時間だ。

作者が示すのは最小限のヒントだけ。

そこからどう感じ、どう色づけていくかは読み手次第。

同じ一冊でも、人によってまったく違う物語になるのはそのためだ。

忙しい毎日の中でも、寝る前の10分だけ本を開いてみる。

すると頭の中に静かな世界が育ち始め、

スマホに“使われる”日常から少しだけ距離を置ける。

読書の形は紙でも電子でも、オーディオブックでもいい。

大切なのは、感じるための余白がそこにあるかどうか。

その小さな余白が、これからの主体性をそっと育ててくれるのだと思う。

2025/11/23
737/1000 締めすぎたボルトと、父の生き方   

今日は冬タイヤへの交換を行った。

この季節になると、物置から除雪スコップを出し、タイヤを並べ、軍手をはめる。そのひとつひとつの動作が、冬の訪れを静かに知らせてくれる。

そして必ず思い出すのが、父からタイヤ交換を教わった日のことだ。

免許を取り、初めて自分の車を持った十代の頃。父はとにかく“タイヤだけは絶対に外れるな”と強く念を押し、半ば脅しのように力の入れ方を教えた。

「いいか、レンチは手じゃなくて足で踏め。全体重をかけろ。命が乗ってるんだ。」

父にしてみれば、これが最も確実で安全なやり方だったのだろう。

ただ、初めて一人でタイヤ交換をしたあの日、私は父の言いつけを忠実に守りすぎた。全体重をかけて渾身の力で踏み込んだ結果、ボルトは――見事に千切れた。

後になって知ったが、これは典型的な“締めすぎ”。本来は、トルクレンチで指定のトルクに合わせて締めるという、現代では当たり前の手順がある。力任せではなく、必要なだけの力を、適切なところで止める。それが今のやり方だ。

けれど、タイヤ交換をするたびに思う。あの父の教えは、ただの力技ではなかったのではないかと。

父の生き方そのものだったのだ。

壊れるまで働き、限界まで踏ん張り、家族を支えるために“締めすぎるほど”の力で生きてきた世代。

一方で私は、規定値を守り、無理をしすぎず、壊れる前に止める方法を選ぶ時代に生きている。

どちらが正しいという話ではない。

ただ、ボルトを締める足の感触から、ふと父の背中を思い出す。

全力しか知らなかった父の生き方と、適力を探す今の自分が、冬の気配の中で少しだけ重なり合う。

今年も無事に交換完了。

冬道の備えを整えながら、父の生き方の温かさと重さを、そっと噛み締めた一日だった。

2025/11/21
735/1000 生きていることが、もう正解   

変わるって、本当に難しい。

頭では分かっているのに、どう変わればいいのかとなると、とたんに視界が曇る。

けれど、今のままでは沈んでしまう──そんな瀬戸際に立っている自分も確かにいる。

結局のところ、どんな自分になりたいのか。

そのゴールを描かない限り、前に進む力は湧いてこないのだと思う。

そして今の自分は最善を尽くしたか、と胸に問いかけるたび、

静かに次の一歩を促されているような気がする。

策をめぐらせ、駆け引きで道を切り開く人たちもいる。

しかし私は、真正面からぶつかって、転んで、また立ち上がる。

不器用だけど、それしかできない。したくもない。

ただ、その時に胸に湧く「爽快さ」こそが、私の判断基準なんだと気づく。

迷っているということは、生きているということ。

揺れながらも進もうとしている証だ。

そして思う。

正解はないのだけれど、生きているということが、もう正解なのだと。

2025/11/19
733/1000 暑さ・豪雨・クマ──自然との付き合い方   

今年は、山形の川に鮭がほとんど戻ってこないという。

例年の八分の一。数字は淡々としているのに、川の景色を思い浮かべると胸がざわつく。

広島では牡蠣が歴史的不漁。

全国では、あちこちで熊の出没が相次いでいる。

気候や海水温の変化、環境の影響──説明はいくらでもあるのだろう。

けれど今年に限って、こんなにもいろいろが重なるものだろうか、と考えてしまう。

ふと思う。

このクマたちは、ナウシカで言う“オーム”のような存在なのではないか。

ただ暴れているのではなく、もっと深い場所からの“知らせ”として里に姿を見せているのかもしれない。

会社では、熱中症だの豪雨だの、季節ごとの対策に追われてきた。

その矢先に、今度は「クマ対策までお願いします」と言われる始末である。

自然相手の仕事とはいえ、ここまでバリエーションが増えると、私たちはまるで“自然警備隊”だ。

でも、こうして人が右往左往している裏で、自然は静かにサインを送り続けている。

鮭の川、海の養殖場、山の気配──それらはいつも何かを語りかけている。

暑さ、豪雨、そしてクマ。

そのどれもが「どう自然と付き合うか」を問い直してくる。

今年の異変は、もしかすると自然からの小さな声なのかもしれない。

2025/11/17
731/1000 そいで?──家族が教えてくれる、気づけない自分   

昨日の食卓で、娘が突然「ゲームしよう!」と言い出した。

家族4人それぞれに“口癖”をこっそり設定し、本人には見えないようにおでこに貼る。

その口癖を自分で言ったら負け、という実にシンプルで、実に恐ろしいルール。

私に割り当てられたNGワードは、まさかの「そいで?(それで?)」。

まったく自覚がなかった。

いや、家族からすれば“鉄板の私の口癖”だったらしいのだが、本人にとっては青天の霹靂である。

そしてゲーム開始。

わずか10秒。

「そいで?」

……自然体すぎるほど自然体に口から出てしまい、即アウト。

家族は大笑い。私は苦笑い。

でも、この瞬間ふと気づいた。

自分のクセって、本当に自分では見えないものなんだな、と。

思えば、妻からは普段から「その言い方、誤解されるよ」とか、「その口調はあまり良くないよ」と、丁寧に指摘されている。

自分では普通のつもりでも、聞く側にとっては全然違って聞こえていることがある。

今回の“そいで?事件”も、要はその延長線上なのかもしれない。

そんなふうに、自分が気づけない細かなクセや振る舞いを、率直に伝えてくれる人がいるというのは、本当にありがたいことだ。

ましてや、それを遠慮せずに伝えてくれるのが家族だというのは、もっとありがたい。

家族って、一番近くにある“鏡”みたいな存在なのだと、あらためて感じた夜だった。

2025/11/15
729/1000 時代はパドラーを求めている   

今日は、娘がお世話になるかもしれない高校の学校説明会に参加してきた。

特に心に残ったのが、「レガッタとラフティング」で語られた社会の変化だ。

これまでの社会はレガッタのように、後ろを向いて指示を受け、その通りに漕げばよかった。

決められたことをきちんとやる——それが求められた時代である。

しかし、これからはラフティングの時代だという。

前を見て流れを判断し、声を掛け合って、自分からパドルを差し込まなければ船は進まない。

指示を待っているだけでは、激流に飲まれてしまう時代だ。

子どもたちが進むのは、この“行動の時代”である。

企業も大人も、レガッタの価値観ではもう通用しない。

流れに合わせて自ら動く者だけが次のステージに進み、そうでなければ消耗していく。

流れが速すぎるのだ。

この変化に合わせて、自ら判断し、挑んでいける企業や人だけが残る。

対応できなければ、すり減り、姿を消してしまう。

世の中の「光」と「影」の濃淡が、いっそうくっきりと浮かび上がる時代である。

だからこそ、前を向いて漕ぐしかない。そうビジョンがより一層大切なのだ。そう先生は言いたかったのだろう。

こんな話を聞きながら、中学生にどこまで本筋が伝わったかは正直わからない。

けれど、私は素直に「ここなら娘を預けてもいいな」と感じていた。


2025/11/13
727/1000 晴れの日に傘が必要   

今日は財務戦略のセミナーに参加した。

数字の話もさることながら、後半にあった「銀行との正しいお付き合いの仕方」が、なんとも胸に残った。

会社の経営を左右する大事なテーマなのに、これには決まった虎の巻がない。

私はこれまで、先輩経営者の背中を追い、そして先代である父の振る舞いから学んできた。

その経験則の寄せ集めで、なんとかここまでやってきたような気がする。

ところが今日の講義を聞きながら、ふと安心した瞬間があった。

あの頃教えてもらった感覚は、どうやらそう間違ってはいなかったらしい。

経験則の影には、ちゃんとした理屈と、銀行側の立場が存在していたのだと知り、少し肩の力が抜けた。

ただ、ここで具体的な内容を書くことは控えておこうと思う。

銀行とのお付き合いは、会社の状況や規模、経営者の覚悟によってまるで違う。

ひとつの正解を書いたところで、それが誰かの足を引っ張る可能性だってある。

だからこそ、自分の胸の内にそっとしまっておくほうがいいのかもしれない。

ひとつ確かだと思ったのは、銀行というのは「晴れの日に傘を貸す商売」だということ。

それは良い悪いではなく、当たり前の姿だ。

だからこちらも、誠意を持って向き合い、相手を知ろうとすることが欠かせない。

どんな未来を描いていて、どこに向かおうとしているのか。

数字と姿勢で示し、正しく理解してもらう努力を続けるしかない。

結局のところ、経営とは“誠意と理解”の積み重ねなのだと思う。

父から受け取った教えも、今日の学びも、すべてそこに行き着く。

そんなことを胸の中で反芻しながら、ゆっくりと帰路についた。

2025/11/11
725/1000 箱の中の40年   

本日はお隣の酒田市で遺品整理の現場作業。

久しぶりに一日びっちりとスタッフと一緒に汗を流しました。

「この寒いのに汗?」と思われるかもしれませんが、外仕事は防寒具が必須。

動き回れば、たちまち体があたたまり、汗ばんでくるのです。

今日は二階に取り付けられたエアコンの取り外しがあり、久々に工具を握りました。

昔取った杵柄というやつで、電気工事士の資格が、こういうときに生きてくる。

現場に出ると、不思議と体が覚えているもので、手が自然に動きます。

遺品整理の現場では、さまざまな“モノ”との出会いがあります。

今日、ふと目に留まったのは、化粧箱にずっとしまわれていた民芸品のお人形。

三歳くらいの子どもをかたどった、素朴であたたかい表情のお人形でした。

おそらく四十年ほど、そのまま箱の中で保管されていたのだろうと思います。

モノは言葉を話しません。

けれど、確かに時間と気持ちを宿しているように思います。

役目を終えたのか、まだ果たせていないのか。

ただ、そこに“在り続ける”ことにも、意味があるのかもしれません。

ふと、「外の世界を見せてあげたいな」と思いました。

お節介かもしれませんが、箱からそっと出して、窓際に置いてみました。

冬の光を浴びながら、外をじっと眺めている姿が、とても静かで、やさしかった。

慰めになったのかどうかは、わかりません。

けれど、その姿を見ていたら、

「人もモノも、誰かに必要とされてこそ、息を吹き返すのだな」と、そんなことを思いました。

遺品整理は、モノを捨てる仕事ではない。

そこにあった暮らしに手を添え、次の居場所へとつなぐ仕事です。

今日もひとつの家から、季節がひとつ流れていきました。

2025/11/09
721/1000 鶴岡から金沢へ、鉄道旅。   

これまで金沢へは車で行くことが多かった。自分で運転して、距離を走りきる達成感はある。でも今回は、あえて電車を選んだ。

あつみ温泉駅から「いなほ」に乗って新潟へ。そこから「しらゆき」で越後妙高へ。同じ型の車両だけれど、景色は少しずつ変わっていく。海沿いの光から、少しだけ雪をかぶった山の影へ。座っているだけで土地が移り変わっていくのが、なんだか心地よかった。

越後妙高で「はくたか」に乗り換える。初めての北陸新幹線、席に落ち着いたところで車内チャイムが流れた。谷村新司さんの「北陸ロマン」のとってもオリエンタルなメロディーが流れ、すっと旅の気分に入っていける。

一応、移動中に仕事でもしようかとパソコンを持ってきていた。でも、窓の外を眺めていたら、そんな気持ちはどこかへ消えた。せっかくの鉄道旅だし、何もしない時間も悪くない。コーヒーを飲み飲み、結局、パソコンは最後まで鞄から出さなかった。

金沢に着いたとき、車で500km移動するのとは違った、軽やかさがあった。


2025/11/07
719/1000 リアルドラゴン桜 山口和士   

今日のブログは、先日参加した

日本進路指導推進協議会 会長・山口和士氏の進路講演会について。

正直なところ、何の催しかも分からなかったのだけれど

「進路担当は父だから」と、妻に勧められて行っただけで、

講師のお名前も知らなかった。

会場で目にした山口氏は、

ふくよかで、柔らかい表情をした初老の男性だった。

白髪まじりの髪、優しげな眼差し。

まさに『スラムダンク』の安西先生のような雰囲気だな、と。

「これは静かな講演になるのかな」と正直期待していなかった(今のトレンド知らないでしょう)。

講演が始まるまでは。

話を聴き始めてすぐにわかった。

この人は「言葉で動かす人」ではなく、

生き方そのものが言葉になっている人だということ。

山口氏は、小学二年生の頃、先生からの叱責をきっかけに

声が出なくなったそうだ。

そのまま高校生になるまで、ほとんど声を発しないまま過ごしたという。

しかしある日、

当時ノーベル賞を受賞した湯川秀樹氏に手紙を書いた。

すると、返事が来た。

そして、湯川氏が「会いにおいで」と言ってくれた。

その出会いによって、

失われていた声は、少しずつ戻っていった。

山口氏は言った。

「人は、誰かのまなざしに救われることがある」

その言葉は、派手でもなく、声高でもなく、

ただ、静かに胸に落ちていった。

さらに続けてこうも言う。

「親は、子どもの前に立たなくていい。隣にいればいい」

導こうとしすぎると、

子どもは自分の足で立つ機会を奪われてしまう。

心配で口を出す。

正しくあろうとして説明しすぎる。

でも本当に必要なのは、

「戻れる場所がある」という安心感なのだと。

その話を聞きながら、

家族にも、会社にも、同じことが言えるなと思った。

焦らせるのではなく、

比べるのではなく、

ただ、信じて待つ。

あきらめず、急がず、静かに見守る。


素晴らしい。息子も同じ講演を聞いた。

感動したという。私も感動した。

夜中息子の部屋の前を通ると、机に向かっていた。
山口和士氏は、リアルドラゴン桜と言われている。すごい人がいたもんだ。

2025/11/05
717/1000 娘に手紙を書く日   

この時期になると、ママ友たちの間でよく耳にする言葉がある。

「サンソウカイ」。

初めて聞いたときは、酸素?吸う?会?と、私の頭の中には「?」が飛び交っていたものだ。

正しくは「三送会」。部活動の引退した三年生を送る会のことだ。

思い返せば、部活動父母の会の会長など引き受けていた頃は、この三送会が近づくと会場の手配から企画構成、当日の段取りまで、目が回った。

昨年までは、送る側、ところが今年は違う。

うちの娘が三年生。つまり「送られる側」の父母。

もう、どっしりと構えていれば良い。

行事が近づいても連絡はなく、ただ「参加してくださいね」と言われるだけ。

あぁ、なんと穏やか。

これぞ三年生の特権。と思っていた、ほんの数日前までは。

突然、妻から「三送会で、娘に手紙を書くって聞いてる?」

……え?聞いてないけど。どうやら私以外の父母には伝わっていたことらしい。

寝耳に水とはこのこと。

実はこの企画、昨年の三送会で、私が「送る側」の父母代表として提案したものだった。

「子どもたちへ、未来へ向けたメッセージを渡すのも素敵では?」

そんな想いでお願いしたのだが、蓋を開けてみれば賛否両論。

「いや、普通は娘が親に感謝を伝えるでしょ?」という声もあり、ちょっとした波風も立った。

あのときの空気、忘れはしない。

だから私は、今年、自分が「書く側」になることはないだろうと思っていた。


子供からメッセージはたくさん頂く機会がある。けれど、子供に面と向かって想いを伝える機会はどれほどあるだろうか。

だからこそこの三送会を使って…そんな私の狙いはこうして成就した。

さて、何を書こうか。


2025/11/03
715/1000 “消去と刷新”総仕上げ   

その昔、著名な西洋占星術師の先生に「あなたの人生のテーマは“消去と刷新”です」と言われたことがある。

当時は正直、よくわからなかった。しかし、会社を継いでもうすぐ十年、この言葉の意味が少しずつ体に染みてきた気がする。

二代目・三代目の仕事というのは、先代の築いたものを“壊すこと”でも“守ること”でもない。

むしろ、その両方を行き来しながら、「何を残し、何を手放すか」を選び抜くことにこそ本質があるのだと思う。

たとえば、父の代から続くやり方を一度“消去”してみる。

そこに新しい価値観や技術、時代の空気を“刷新”として吹き込む。

それは勇気がいるが、継承とは単なるコピーではなく、再構築のプロセスそのものだと今は思う。

もちろん、変えることには痛みが伴う。

社内でも「昔はこうだった」という声は少なくない。

だが、その“昔”を否定するために変えるのではなく、未来へつなぐために整理する。

これが私の思う二代目・三代目の仕事だ。

先日学んだ新規事業を進める際の戦略図「アンゾフのマトリクス」からもよくわかるように、

“消去と刷新”なくして、次のフェーズに行くことはできない。

ここからあと一年、私の“消去と刷新”の総仕上げの年となる。

継ぐとは、過去を生かしながら、未来を描き直すこと。なのだろう。

2025/11/01
713/1000 アルトで歌った日   

昨日は、末の娘の最後の合唱祭を観に行ってきました。

娘にとっては中学校生活の締めくくり。クラスのみんなで心を一つにして挑む姿が本当に眩しかったです。あの年頃になると、合唱なんて恥ずかしい、照れくさいと感じる子も多いものですが、彼女たちのステージにはそんな空気は微塵もなく、全員が真剣で、声と心がしっかり響き合っていました。

娘はこれまで何度もピアノ伴奏を務めてきましたが、今年はその座を他の子に譲り、初めてアルトとして歌う側に回りました。少し悔しそうでもありましたが、「こういう経験もきっと意味がある」と感じていました。伴奏では見えなかった景色、歌う側だからこそ感じられる一体感。きっと彼女の中で何かが変わったことでしょう。

私の中では間違いなく“最優秀賞”のハーモニーでしたが、結果はそうではなかったようです。それでも、あの一生懸命さと、クラスの仲間たちとの絆は何にも代えがたい宝物になるはずです。

帰ってきて、娘はその日歌った曲の伴奏をぽつりぽつりと弾いていました。

その背中を見ながら、「あぁ、こうやって大人になっていくんだな」と、ちょっとだけ胸が熱くなりました。
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