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歯医者さんで、数ヶ月に一度の定期検診。
いつものように歯茎の状態をチェックしていただいたのですが、今日は先生からブラッシングについて、ややキツめの注意を受けてしまいました。
前回も同じ指摘を受けていて、この二ヶ月は意識して磨いてきたつもりでしたが……どうやら「つもり」だったようで、再びブラッシングのレッスンに逆戻り。
実はこれまでも、
「この歯ブラシを使ってくださいね」
と先生にすすめられていたのですが、どこかで
“歯ブラシごときで何が変わるんだ”
という素人根性が顔を出し、首を縦には振らなかった私。
しかし今回は、先生の少々厳しめの説明に観念して、ようやくおすすめの歯ブラシを素直に購入しました。
先生曰く、市販の歯ブラシは硬すぎるのだそう。特に男性は力が入りがちで、歯茎に負担がかかるとのこと。
年齢を重ねるほど大切になる“歯と歯茎”。
習慣の小さな油断が、気づけば大きな差になる。
今日からは素人根性は脇に置き、柔らかめの歯ブラシで丁寧に磨くことにします。
さて、次回の検診では胸を張れるかどうか。
これは未来の私への宿題です。
「ありがとう」の反対は「あたりまえ」。
よく耳にする言葉だけれど、先日ラジオを聴いていて、その意味を深く感じた。
投稿者の男性が、少し苦笑いを混じえながら話していた。
「毎朝、コピー機に紙を補充するんですが、誰もやらないんですよ。新人も入ってきているのに、ずっと自分だけで……正直モヤモヤしてます」
この気持ち、よくわかる。
誰がやってもいい仕事。けれど、誰かがやらないと回らない仕事。
下っ端だから、という理由ならまだ整理がつく。
でも、そういうわけでもないのに“なぜ自分だけ?”という思いが積もってゆく。
しかも、これは給与が少ないとか待遇がどうとか、
そんな表面的な話ではない。
彼が本当に腹を立てていたのは、
「やってくれて当たり前」とされる空気だったのだ。
人間というのは可愛いもので、
たった一言の「ありがとう」があれば、同じ行動がまったく違う意味を持つ。
紙を補充するだけの行為が、
その一言で“気遣い”になり、“ヒーローみたいな働き”にもなる。
これは職場に限らず、家庭でも、地域でも、どんな場所でも同じだろう。
必要なのは “アンテナ” だ。
相手の行動を、あたりまえとしないための、ささやかな心のセンサー。
アンテナが鈍れば、日々の優しさや手間に気づけない。
でも、ちゃんと立っていれば、
誰かのひと手間に「ありがとう」が自然と生まれる。
そして不思議なもので、
こうして見ていくと、「ありがとう」と言われる行動そのものより、
その一言を口にできる人のほうが、どこか尊いように思えてくる。
行動はただの出来事。
けれど「ありがとう」と言える人は、
その裏にある気持ちや手間をきちんと受け取っている。
結局、人の価値を決めるのは、
どんな行動をしているかだけではなく、
どんな心で受け取り、どんな言葉を返せるか――
そこなのだと思う。
昨日、地域の粗大ゴミ収集に伺った。
この仕事に行くのは、もう15年ぶりくらいになる。
スタッフがインフルエンザで休むことが続き、急きょピンチヒッターとして私がトラックに乗った。
久しぶりの現場は、身体より先に気持ちが動いた。
作業服を着て荷台に立つと、若い頃の自分がふっと横に立ったような気がした。
あの頃は“ちゃんとやらなきゃ”“舐められちゃいけない”と、力みまくっていたものだ。
けれど昨日の私は、周りを気づかいながら淡々と、でも確かに楽しんでいた。
この日は18件をまわった。
なかなかハードだったが、終わってみれば心地よい達成感があった。
ただ、私の自称“晴れ男”伝説は、この日ばかりは影を潜めた。
雷は鳴るわ、土砂降りになるわで、急いでカッパを着ての作業。
雨に濡れながら「そうそう、昔もこんな日があったな」と、懐かしいような気持ちになった。
作業の合間には、お客様からコーヒーやお菓子の差し入れもいただいた。
雨で冷えた体と心に、これが本当にしみる。
「大変だねぇ」「助かるよ」と声をかけてもらうと、天気なんてどうでもよくなる。
そして、昨日いちばん驚いたのは——
伺ったすべての家の玄関が、とにかくきれいだったことだ。
靴も少なく、余計なモノがほとんど置かれていない。
一歩入った瞬間の空気がすっとしている。
ああ、きれいな家というのは、“ゴミを出す習慣”がある家なんだ、と実感した。
ため込まず、循環させる暮らし。
それは単に片づけ上手という話ではなく、生き方の姿勢そのものなのだろう。
久しぶりの現場は、原点に戻るような時間だった。