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先日、ラジオで興味深い企画を聴いた。
「全盲の方と一緒に美術館を鑑賞する」というものだ。
この鑑賞には一つルールがあるという。
“作品のタイトルや注釈を見ずに、感じたままを言葉にする”。
知識ではなく、まっさらな感覚だけで絵と向き合う。
その姿勢が、なんだか新鮮だった。
説明を聞いているうちに、私はふと「これは本を読むのと同じだな」と思った。
本に載っているのは文字だけ。その文字を頼りに、頭の中で景色や人物の息遣いを自然と描き出していく。
つまり“意味付けされた説明”ではなく、“自分の解釈”が世界を作っていく。
ちょうどこの前、ある資料を読んでいたら、
小中高生の半数以上が一日の読書時間ゼロと答えているという調査が載っていた。
今のスマホ時代を象徴する言葉として「Brain Rot(脳腐れ)」という表現まで出てくるほどだ。
ショート動画は、確かに気楽で面白い。
けれど、あれは“見せられる世界”。
こちらの想像力をほとんど使わない。だから気づくと、時間だけがスルッと消えている。
一方で、本を読むという行為は、
あの全盲の美術鑑賞のルールのように、
自分の言葉で世界を立ち上げる時間だ。
作者が示すのは最小限のヒントだけ。
そこからどう感じ、どう色づけていくかは読み手次第。
同じ一冊でも、人によってまったく違う物語になるのはそのためだ。
忙しい毎日の中でも、寝る前の10分だけ本を開いてみる。
すると頭の中に静かな世界が育ち始め、
スマホに“使われる”日常から少しだけ距離を置ける。
読書の形は紙でも電子でも、オーディオブックでもいい。
大切なのは、感じるための余白がそこにあるかどうか。
その小さな余白が、これからの主体性をそっと育ててくれるのだと思う。