昨日、ダウン症の書家金澤翔子氏と翔子氏の母で書家の泰子氏の講演会に参加してきました。冒頭、翔子氏がステージ上でダイナミックに「希望光」と揮毫し、その後母泰子氏が講演するという内容で、大きな感動をいただきました。
まず揮毫について、例えば構図とかメッセージがどうとか考えるということが全くない、少女が自由に嬉しそうにダンスでも踊っているように筆を揮っている。そんな感じでしょうか。それで、降りてきた文字にはみんなの力とか願いとか悔しさとか喜びとか、そんなものがドンとそこに置かれている。
それは飾るためでも、売るためでも、自慢するためでもない、「今ここに、これありますね」っていうことをみんなで共有する。ただそれだけのためにあるような作品だなって私は感じました。
また、泰子氏の講演の中で、一番嬉しいこととして、翔子氏が丸8年一人暮らしをしていることを挙げていました。書家としてというようなことではなく、なによりも、一人でみんなの助けを集めながら生きてゆくことができること、これが何より嬉しいとおっしゃっておりました。
42歳で初めて母となって妊娠中にダウン症を告知されたこと、普通学級に娘を通わせられなかったこと、ご主人の早すぎる死、翔子氏の作業所就職の際にあった屈辱的な出来事と、泰子氏は何度も絶望に打ちのめされました。
しかし翔子氏は自分についてちっともかわいそうとは思っていない。思っているのは母である私だけ。泰子氏は最後に「生きてさえいれば絶望はない」と言い。その絶望こそが私たちをよりよくするための出来事であったと語りました。
絶望は希望の始まりである。そんな事を教えていただいた素晴らしい講演会でした。