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「ありがとう」の反対は「あたりまえ」。
よく耳にする言葉だけれど、先日ラジオを聴いていて、その意味を深く感じた。
投稿者の男性が、少し苦笑いを混じえながら話していた。
「毎朝、コピー機に紙を補充するんですが、誰もやらないんですよ。新人も入ってきているのに、ずっと自分だけで……正直モヤモヤしてます」
この気持ち、よくわかる。
誰がやってもいい仕事。けれど、誰かがやらないと回らない仕事。
下っ端だから、という理由ならまだ整理がつく。
でも、そういうわけでもないのに“なぜ自分だけ?”という思いが積もってゆく。
しかも、これは給与が少ないとか待遇がどうとか、
そんな表面的な話ではない。
彼が本当に腹を立てていたのは、
「やってくれて当たり前」とされる空気だったのだ。
人間というのは可愛いもので、
たった一言の「ありがとう」があれば、同じ行動がまったく違う意味を持つ。
紙を補充するだけの行為が、
その一言で“気遣い”になり、“ヒーローみたいな働き”にもなる。
これは職場に限らず、家庭でも、地域でも、どんな場所でも同じだろう。
必要なのは “アンテナ” だ。
相手の行動を、あたりまえとしないための、ささやかな心のセンサー。
アンテナが鈍れば、日々の優しさや手間に気づけない。
でも、ちゃんと立っていれば、
誰かのひと手間に「ありがとう」が自然と生まれる。
そして不思議なもので、
こうして見ていくと、「ありがとう」と言われる行動そのものより、
その一言を口にできる人のほうが、どこか尊いように思えてくる。
行動はただの出来事。
けれど「ありがとう」と言える人は、
その裏にある気持ちや手間をきちんと受け取っている。
結局、人の価値を決めるのは、
どんな行動をしているかだけではなく、
どんな心で受け取り、どんな言葉を返せるか――
そこなのだと思う。
昨日、地域の粗大ゴミ収集に伺った。
この仕事に行くのは、もう15年ぶりくらいになる。
スタッフがインフルエンザで休むことが続き、急きょピンチヒッターとして私がトラックに乗った。
久しぶりの現場は、身体より先に気持ちが動いた。
作業服を着て荷台に立つと、若い頃の自分がふっと横に立ったような気がした。
あの頃は“ちゃんとやらなきゃ”“舐められちゃいけない”と、力みまくっていたものだ。
けれど昨日の私は、周りを気づかいながら淡々と、でも確かに楽しんでいた。
この日は18件をまわった。
なかなかハードだったが、終わってみれば心地よい達成感があった。
ただ、私の自称“晴れ男”伝説は、この日ばかりは影を潜めた。
雷は鳴るわ、土砂降りになるわで、急いでカッパを着ての作業。
雨に濡れながら「そうそう、昔もこんな日があったな」と、懐かしいような気持ちになった。
作業の合間には、お客様からコーヒーやお菓子の差し入れもいただいた。
雨で冷えた体と心に、これが本当にしみる。
「大変だねぇ」「助かるよ」と声をかけてもらうと、天気なんてどうでもよくなる。
そして、昨日いちばん驚いたのは——
伺ったすべての家の玄関が、とにかくきれいだったことだ。
靴も少なく、余計なモノがほとんど置かれていない。
一歩入った瞬間の空気がすっとしている。
ああ、きれいな家というのは、“ゴミを出す習慣”がある家なんだ、と実感した。
ため込まず、循環させる暮らし。
それは単に片づけ上手という話ではなく、生き方の姿勢そのものなのだろう。
久しぶりの現場は、原点に戻るような時間だった。
これは、ある著名なコンサルタントが講演後のオフ会でポツリと言った言葉だ。
「どんな時代でも業績がいい会社は、スタッフ同士の仲がいい会社なんですよ。」
力んだ講演でもなく、資料に基づく説明でもない。
ただの雑談の中から自然に出てきた一言だからこそ、妙に胸に残った。
ただ、その“仲がいい”という言葉。
人によって意味も解釈もさまざまだと思う。
ここから先は、完全に私の主観だ。
仲が良いとは、心の根っこに“ありがとう”があること。
ありがとう、助かったよ。
ありがとう、気づいてくれて。
ありがとう、今日も来てくれて。
この「ありがとう」がある職場は、不思議と空気が軽い。
ミスしても責めるより先に、どうしたら防げるかを一緒に考える。
情報が流れ、変化に強い。
結局、感謝のある環境は改善が速いのだ。
でも──。
本当に大切なのは、ここからだと思っている。
経営者自身の心の根っこに、大きな「ありがとう」があること。
これが最も大切だ。
ありがとう、この会社に来てくれて。
ありがとう、今日も働いてくれて。
ありがとう、私に力を貸してくれて。
ありがとう、ついてきてくれて。
この“経営者のありがとう”が揺るがない会社は、強い。
なぜ強いかというと、スタッフが感じる安心感が違う。
人は、感謝してくれる人のために力を出す。
組織は、トップの心の状態を正直に映す。
経営者の心の奥に感謝があるかないか──
それだけで会社の空気は変わり、業績すら変わる。
制度や仕組みももちろん大事だ。
けれど、それを動かす“心”が摩耗していたら、どんな立派な計画も回らない。
だから私は今日も、スタッフの顔を思い浮かべながら思う。
ありがとう。
あなたたちがいるから、この会社は前に進んでいる。
そしてその感謝の気持ちこそが、
経営のいちばん深い“根っこ”なのだと実感している。
所作とは、相手への信頼を形で示すこと──
老舗旅館の女将さんは、そう教えてくれた。
叩き込まれたのは、その所作。
所作とは「相手に“影”をつくらないことなのよ」
と女将さんは言う。
しかし、時代は変わった。
宿帳はフロント一括。
料理は大広間のテーブル席。
お茶出しも不要になった。
すべては合理化の改革だ。
変わらなければ生き残れない。
けれど、戸惑ったのは所作を誇りにしてきた熟練スタッフだった。
静かに部屋へ入り、影を作らずに動く──
そんな技が、大広間では活かしづらい。
でも、人が大事にしてきたものが霞んでしまう瞬間もある。
話の最後に、女将さんは静かに言った。
「いろんな時代を乗り越えて、人を育ててきて、ようやく分かったのは。
人を育てるってね、一緒に歩んでいくことなのよ」
時代やスタッフに対して、「一緒に歩んで行くこと」これこそが女将が辿り着いた境地なのだ。
先日、ラジオで興味深い企画を聴いた。
「全盲の方と一緒に美術館を鑑賞する」というものだ。
この鑑賞には一つルールがあるという。
“作品のタイトルや注釈を見ずに、感じたままを言葉にする”。
知識ではなく、まっさらな感覚だけで絵と向き合う。
その姿勢が、なんだか新鮮だった。
説明を聞いているうちに、私はふと「これは本を読むのと同じだな」と思った。
本に載っているのは文字だけ。その文字を頼りに、頭の中で景色や人物の息遣いを自然と描き出していく。
つまり“意味付けされた説明”ではなく、“自分の解釈”が世界を作っていく。
ちょうどこの前、ある資料を読んでいたら、
小中高生の半数以上が一日の読書時間ゼロと答えているという調査が載っていた。
今のスマホ時代を象徴する言葉として「Brain Rot(脳腐れ)」という表現まで出てくるほどだ。
ショート動画は、確かに気楽で面白い。
けれど、あれは“見せられる世界”。
こちらの想像力をほとんど使わない。だから気づくと、時間だけがスルッと消えている。
一方で、本を読むという行為は、
あの全盲の美術鑑賞のルールのように、
自分の言葉で世界を立ち上げる時間だ。
作者が示すのは最小限のヒントだけ。
そこからどう感じ、どう色づけていくかは読み手次第。
同じ一冊でも、人によってまったく違う物語になるのはそのためだ。
忙しい毎日の中でも、寝る前の10分だけ本を開いてみる。
すると頭の中に静かな世界が育ち始め、
スマホに“使われる”日常から少しだけ距離を置ける。
読書の形は紙でも電子でも、オーディオブックでもいい。
大切なのは、感じるための余白がそこにあるかどうか。
その小さな余白が、これからの主体性をそっと育ててくれるのだと思う。