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昨日、妻とニシンそばを食べに行った。
いつもごみ収集の仕事でお世話になっているお店だが、お客さんとして伺うのはたぶん10年ぶりくらいになる。
ここのニシンそばは忘れられない味だ。
熱々のかけそばの上に、甘辛く炊かれたニシンがのっている。箸を入れるとほろりと崩れるほど柔らかく、その旨味が少しずつ出汁に溶け出していく。
久しぶりにいただいたが、やはり美味しかった。
ふとメニューを見ると1,300円。以前は1,000円もしなかったような気がする。物価の上昇を感じるが、この一杯をいただいていると「高くなったな」というより、「この味を守り続けるのも大変だろうな」と思った。
そんなことを考えながら店内を見渡していると、別のことにも気が付いた。
このお店にはテレビがない。
音楽も流れていない。
店内にあるのは、お客さん同士の小さな話し声と、そばをすする音だけだ。
そして不思議なことに、お客さんは皆、周りに配慮しながらヒソヒソと会話を楽しんでいる。
誰かに注意されたわけでもない。
それなのに、その場にいる全員で心地よい空間を作っているような感覚がある。
なんだか親戚の家に遊びに来たような懐かしさがあった。
観光地や飲食店へ行くと、多くの場合、音楽が流れている。
賑やかさを演出するためなのだろうし、それが悪いわけではない。
でも昨日は、ふと考えた。
本当に音楽は必要なのだろうか、と。
店内に流れていたのは音楽ではなく、厨房から聞こえる天ぷらを揚げる音だった。
ジュワッという油の音。
そばをすする音。
小さな話し声。
そして忙しく立ち働く店主の気配。
そんな音たちが重なり合い、なんとも心地よい空間を作り出していた。
私たちはつい、何かを足すことを考えてしまう。
音楽を流す。
映像を流す。
飾り付けをする。
しかし、本当に価値を生むのは、足すことではなく引くことなのかもしれない。
余計なものがないからこそ聞こえてくる音がある。
昨日のニシンそばはもちろん美味しかった。
けれど、それと同じくらい、その店の静けさがご馳走だったように思う。
食べ終わる頃に運ばれてきたそば湯をつゆに注ぎ、最後の一滴までいただいた。
なんとも贅沢な時間だった。
サッカーW杯の結果で国中が熱狂する。
トランプ大統領の発言一つで株価が動く。
遠い中東で起きた出来事が、私たちの暮らしに影響を与える。
エルニーニョ現象が発生しているというのに、必ずしも冷夏になるとは限らないそうだ。
世界は複雑だ。
様々なものが絡み合い、一つの変化が思いもよらないところへ影響を及ぼす。
未来を正確に読むことなど、誰にもできないのかもしれない。
会社経営も同じだ。
設備投資がどう転ぶのか。
新しい事業がどう育つのか。
人との出会いがどんな未来につながるのか。
やってみなければ分からない。
今の一手が正しかったのかどうかも、その時には分からない。
後になって喜んだり、悔しんだり。
それが人生の面白みでもある。
そう考えると、息子の誕生日プレゼント選びも同じだ。
今年はベルトにしようかと思い、こっそり息子の部屋に忍び込み、引っ掛けてあったベルトのサイズを測った。
我ながら怪しい父親である。
喜んでくれるかどうかは分からない。
でも、分からないから考えるし、悩む。
世界情勢から息子の誕生日プレゼントまで。
私たちは毎日、答えのない問題に向き合っている。
読めない世界。
それでも、今を信じて行動する。
夕方、事務所の自動ドアが誰もいないのにスーッと開いた。
みんなは「気味が悪いですね」と笑っていたが、なぜか私は嫌な気がしなかった。
むしろ、何か良いものが入ってきたような気がしたのである。
もちろん、センサーの誤作動かもしれない。風のいたずらかもしれない。
けれど私は最近、世界はいろいろな形でシグナルを送っているように感じる。
人との出会い。
ふと耳にした言葉。
思いがけない出来事。
そして、会社の軒先に作られた二つ目のツバメの巣。
それらは単なる偶然かもしれない。
しかし、人生を振り返ると、後になって「あれが合図だった」と思う出来事が案外多い。
だから私は、良いことは良いように受け取ることにしている。
社屋が建って6年目、初めて作られた二つ目のツバメの巣。
そして夕方に開いた自動ドア。
世界が何を伝えようとしているのかは分からない。
ただ私は、こう受け取ることにした。
「今がその時だ」と。
聞かれていることに答える。
当たり前のことのようだが、これが案外難しい。
もちろん、何を聞かれているのか分からない時もある。あえて別の角度から話をすることもある。けれど、一番多いのは別の理由かもしれない。
自分の中にある「こうあるべき」という観念。
あるいは、自分を守りたいという気持ち。
そんなものが先に立つと、相手の質問よりも、自分の言いたいことの方が前に出てしまう。
「できますか?」
と聞かれているのに、
「いや、でも事情があって…」
と答えてしまう。
「どう思いますか?」
と聞かれているのに、
「実はあの時は…」
と説明を始めてしまう。
相手が求めているのは、まず答えなのに。
もちろん、背景や事情も大切だ。誤解を解きたい気持ちも分かる。私自身、そういう場面は少なくない。
しかし、聞かれていることに答えずに説明だけを重ねると、会話は少しずつずれていく。
そして話はこじれる。
社員との面談でも、家族との会話でも、お客様との打ち合わせでも同じだ。
まずは聞かれていることに答える。
説明はその後でいい。
最近、そんな当たり前のことを改めて意識している。
歳を重ねると、知識も経験も増える。けれど、その分だけ自分の考えに固執する危険も増えるのかもしれない。
だからこそ、ときどき立ち止まって確認したい。
私は今、相手の問いに答えているだろうか。
それとも、自分を守ることに夢中になっているだろうか。
会話が噛み合うかどうかは、案外そんな小さなところで決まるのだと思う。
最近、Netflixで配信されている古畑任三郎にハマっている。
大学生の頃に夢中になって観ていたドラマだ。当時はもちろん、事件そのものが面白かった。どうやって犯人を追い詰めるのか、どこにほころびがあるのか。そんなことばかり考えながら観ていた。
ところが50歳を前にして改めて観ると、気になるものが違う。
犯人ではない。
時計である。
車である。
シャツである。
パンツである。
我ながら少々困ったものだ。
例えば、中森明菜さん演じる犯人が乗るポルシェ。近寄りがたい美しさと、自分の世界を持つ強さが感じられる。
堺正章さんのジャガーは、成功者らしい品格と少し高めのプライドが見え隠れする。
古手川祐子さんのBMWは、自立した大人の女性そのものだ。
笑福亭鶴瓶師匠はボルボに乗り、腕にはオリスのビッグクラウン・ポインターデイト。派手さはないが知的で堅実。推理小説家という役柄に妙にしっくりくる。
木の実ナナさんのフェラーリは、その存在感ごと役柄を語っているようだった。
もちろんドラマなのだが、車ひとつで人物像が伝わってくる。
そして古畑本人。
タグ・ホイヤーのセナモデルを革ベルトで着け、金色の自転車で現場に現れる。
普通の刑事なら違和感しかない。
しかし古畑だとなぜか成立してしまう。
バンドカラーシャツにサスペンダー。驚くほどハイウエストなスラックス。生地は豊かにドレープし、歩くたびに美しく揺れる。
今の流行にも通じるシルエットだが、どこか違う。
おそらく生地そのものが良いのだ。
まだ円が強く、日本に勢いが残っていた時代。良いものを長く使うという価値観も今より身近だったのかもしれない。
大学生の頃にはまったく見えていなかった世界である。
若い頃は物語を追う。
年齢を重ねると、その人が何を選び、何を身につけて生きているのかが気になる。
家財整理の現場でも同じだ。
残された時計や本棚、万年筆や車の趣味から、その人の人生を想像することがある。
どうやら私は、ドラマを観ていても同じことをしているらしい。
犯人を推理するより、その人がなぜジャガーを選んだのかを考えている。
少々職業病かもしれない。
そして思う。
今の時代のドラマでは、なかなかこんなことはできないだろう。
車種ひとつで人物像を語ることも難しい。時計や服装も、以前ほど雄弁ではなくなったように感じる。
けれど古畑の世界には、それが自然に存在していた。
時計も、車も、服も、単なる小道具ではない。
その人の人生や価値観を語る脇役だったのである。
私はもう犯人を追っているのではない。
あの時代の大人たちが纏っていた空気を、もう一度見ているのだ。