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環境管理センターブログ

2026/06/30
940/1000 セールを賢く使う   

この時期になると、あちこちでセールが始まる。

「30%OFF」

「半額」

そんな文字を見ると、少し気持ちが動く。

私もセールは嫌いではない。

以前から欲しいと思っていたものが、ちょうどセールになっていたら素直にうれしい。

セールは、一歩踏み出すきっかけにはなる。

しかし、それが買う理由になってはいけないと思っている。

「安いから買う。」

その買い物は、一見得をしたように思える。

けれど、家に帰ると使わないままになっているものも少なくない。

買ったのはモノではなく、「お得感」だったのかもしれない。

一方で、本当に欲しいと思っていたものなら話は違う。

色もサイズも、自分に合っている。

長く使いたいと思える品質があり、自分の暮らしを豊かにしてくれる。

そんなものが、たまたまセールになっていた。

それは、価格以上の価値がある買い物だと思う。

大切なのは順番だ。

「安いから欲しい」のではなく、「欲しいものが安くなっていた」。

この順番を間違えないことだ。

これは仕事でも同じである。

例えば補助金。

補助金があるから設備を導入するのではない。

まず、その設備が会社に必要であり、将来のために投資する価値があると判断する。

その上で補助金が使えるのであれば、それは一歩踏み出すきっかけになる。

だから補助金を活用する。

補助金を目的にしてしまうと、本当に必要な投資かどうかを見失ってしまう。

セールも補助金も、本質は同じだ。

どちらも主役ではない。

価値あるものや必要なものに出会った時、背中を押してくれる存在なのである。

目先の「お得」に心を奪われるのではなく、その先にある価値を見る。

そんな買い物や投資を積み重ねていきたいと思う。


2026/06/28
938/1000 書類の居場所   

今日は定休日。

誰もいない事務所で、思い切って書類整理をするつもりだ。

普段は電話が鳴り、人が出入りし、なかなか腰を据えてできない仕事だが、静かな事務所だと驚くほどはかどる。

書類の面白いところは、大事な書類も、そうでない書類も、見た目ではほとんど区別がつかないことだ。

同じような白い紙で、大きさもほぼ同じ。紙そのものの値段もほとんど変わらない。

しかし、その一枚が契約書なのか、申請書なのか、ただのメモなのかで、その価値は大きく変わる。

だからこそ大切なのは、WHYである。

なぜ、この書類を保管するのか。

なぜ、この場所に置くのか。

その目的が明確になると、おのずと書類の居場所も決まってくる。

学校には、一人ひとりに下駄箱があり、机があり、ロッカーがある。

居場所があるから、子どもたちは迷わない。

書類も同じだ。

居場所が決まっていないから、「とりあえずここに」が積み重なり、やがて机の上は書類の山になる。

整理とは、ただ捨てることではない。

モノに居場所を与えることだ。

そして、その本当の目的は、見た目をきれいにすることではない。

必要な時に必要な書類がすぐ見つかること。

探し物に時間を使わないこと。

誰が見ても同じ場所から取り出せること。

つまり、人が安心して仕事ができる環境をつくることである。

 

仕事のレベルはその整理に現れてしまう。


2026/06/26
936/1000 WHYから始まる未来   

今日は、あるプロジェクトについて打ち合わせを行った。

デザインや商品の話もしたが、一番時間をかけたのは「WHY」だった。

私たちは何のために、この仕事をするのか。

改めて考えてみると、私たちの仕事は廃棄物を処理することではない。

創業以来50年、浄化し、整理し、その過程で生まれる不要なものを安全に取り除いてきた。

それが私たちの仕事だった。

しかし、それは目的ではなく手段である。

本当に届けたいものは何なのか。

たどり着いた答えは、「安心」だった。

安心とは、危険がないことだけではない。

時間にゆとりが生まれること。

無駄な出費が減ること。

心が整い、穏やかに暮らせること。

環境を整えることは、そうした安心につながっている。

しかしこれが当たり前の時代になって久い。

これからの50年を考えたとき、一つの想いが浮かんできた。

浄化し、整理し、その先に生まれるモノに、新しい価値を与えていきたい。

これまで「取り除くこと」で環境を守ってきた会社が、これからは「価値を生み出すこと」でもその人の人生に貢献していく。

 

循環というと当たり前すぎるが、私たちの作る循環は想像の先を行く。

これから生み出すプロダクトやサービス、そして仕組みは、単なる新しい事業ではない。

次の50年を歩むための羅針盤であり、私たちの理念を形にしたものになる。

まだ構想の段階ではあるが、今日はその「軸」がはっきりと見えた。

2026/06/24
934/1000 それぞれの選択   

81歳になる父が、仙台から「萩の月」をお土産に帰ってきた。

聞けば、船舶免許の更新講習に参加してきたのだという。

父は30歳頃まで船乗りだった。世界の海を航海し、船長として船を任されていた時代もある。

丘に上がってからは、船を操縦する機会はほとんどなかったと思う。それでも81歳になった今も免許を更新する。

実際に船を動かす予定があるのかは分からない。

それでも父にとって船舶免許は、単なる資格ではないのだろう。

人生の大切な時間を海の上で過ごし、船長として責任を背負ってきた証。その誇りを手放したくないのかもしれない。

一方で、妻の父は今年、自動車運転免許を返納すると話していた。

長年当たり前のように運転してきた車を手放す決断である。

こちらもまた簡単なことではない。

自由に移動できる手段を失うだけでなく、自分の年齢や身体の変化を受け入れる決断でもあるからだ。

父は免許を更新する道を選び、義父は免許を返納する道を選んだ。

まったく逆の選択に見えるが、どちらも自分の人生と向き合った結果なのだと思う。

大切なのは更新することでも、返納することでもない。

自分で考え、自分で決めること。

年齢を重ねるほど、その決断にはその人らしさが表れる。

萩の月を食べながら、そんなことを考えた。

人生には正解が一つではない。

それぞれの決断があり、それぞれの人生があるのだ。

2026/06/22
932/1000 娘たちなりの親孝行   

父の日になると、毎年上京している次女からプレゼントが届く。

誕生日には長女からプレゼントが届く。

不思議なもので、二人とも毎年欠かさない。

長女は「こんなものがあるのか」と驚くようなアイデアグッズ。以前は首を伸ばす枕を送ってくれた。

一方の次女は珍味やおつまみの詰め合わせなど、いわゆる消え物が多い。

贈るものにも性格が出るものだなと思う。

ただ、二人とも共通していることがある。

メッセージがない。

箱を開けると品物だけがボーンと入っている。

「お父さん、いつもありがとう」

そんなカードが添えられているわけでもない。

ありがたいし、もちろんうれしい。

でも正直なところ、「そんなにお金を使わなくていいから、たまには電話一本くれればいいのにな」と思ったりもする。

もっとも、電話は照れくさいのだろう。

だから代わりにプレゼントを選び、送ってくれる。

そう考えると、その品物自体よりも、自分のために時間を使い、あれこれ考えながら選んでくれたことがありがたい。

そして記念日になると、普段は静かな小林家グループLINEが、にわかに活気づく。

「届いた?」

「ありがとう」

「おめでとう」

写真が送られてきたり、スタンプが飛び交ったり。

それぞれ離れた場所で暮らしていても、その日だけはみんなが同じ場所に集まったような気持ちになる。

家族というのは面白い。

毎日連絡を取り合うわけではない。

特別な言葉を交わすわけでもない。

それでも父の日や誕生日になると、ちゃんとつながっていることを思い出させてくれる。

今年もまた珍味をつまみながら、そんなことを考えていた。

親にとって一番うれしいのは、品物ではなく、子どもたちが元気でいてくれることなのだろう。

そして、その元気な気配が年に数回、グループLINEを通して届く。

それだけで十分幸せなのかもしれない。

2026/06/20
930/1000 声を上げ続けること   

東北南部が梅雨入りしたそうだ。昨年より8日遅いとのこと。

この時期になると、毎年少し緊張する。

 

当社の工場には、大雨のたびに冠水の恐れがあるからだ。近年では毎年のように工場内へ大量の雨水が押し寄せる。

 

幸い当社には吸引車があるため、浸水後の復旧は比較的早い。しかし本当に心配なのは、高圧受電設備をはじめとする電気系統への影響だ。一度被害を受ければ、事業への影響も小さくない。

 

もちろん何もしてこなかったわけではない。

 

設備の嵩上げや排水対策など、その都度できることは行ってきた。しかし自然相手のことだけに、自社だけの努力では限界もある。

 

そこでこれまで、鶴岡市に対して要望という形で現状を伝えてきた。

 

そして今年、市から回答をいただいた。

 

昨年実施した工事により、これまでより排水能力の高い水路へ接続したとのことだった。

 

我々の声が直接届いた結果なのかは定かではない。しかし、長年の課題に対して改善が図られたことは素直にありがたいと思う。

 

世の中には、自分たちだけでは解決できない問題がある。

 

だからといって諦めるのではなく、現場で起きていることを丁寧に伝え続ける。そうした積み重ねが、いつか改善につながることもあるのだろう。

 

言わなくても分かってくれるだろう。

 

そう思ってしまうこともある。しかし、伝えなければ相手は気づくことすらできない。

 

もちろん、今回の対策がどれほどの効果を発揮するのかは、実際に大雨が降ってみなければ分からない。

 

できれば、その効果を確認する機会がないのが一番だ。

 

それでも、現場の課題に耳を傾け、改善に取り組んでいただいたことには感謝したい。

 

今年の梅雨は、例年より少しだけ穏やかな気持ちで迎えられそうである。


2026/06/18
928/1000 区切りをつけるということ   

物の整理は心の整理と言われる。

最近、「ゼイガルニク効果」という心理学の言葉を知った。

人は完了したことよりも、未完了のことの方が気になるそうだ。

考えてみると、仕事でも同じである。

返事をしようと思っているメール。

確認しようと思っている書類。

電話しようと思っている相手。

どれも大した作業ではない。

しかし、後回しにすると頭の片隅に居座り続ける。

実際にやってみれば5分で終わることなのに、その未完了の状態が意外と大きなエネルギーを奪っている。

物も同じなのかもしれない。

「いつか使うかもしれない。」

「いつか判断しよう。」

そう思って残している物は、単なる物ではなく、未完了のタスクになっている。

だから整理をすると気持ちが軽くなる。

空間が広くなるからではない。

未完了だったものに区切りがつくからだ。

整理とは、捨てることではない。

区切りをつけること。

完了させること。

そう考えると、物の整理は心の整理と言われる理由もよく分かる。

私自身、気になることがあると頭の中で何度も考えてしまうことがある。

そんな時は、完璧な答えを出そうとするのではなく、まず一歩動いてみる。

電話一本でもいい。

メール一通でもいい。

小さな完了が、次の行動を生み出してくれる。

仕事も片付けも、案外同じなのかもしれない。

2026/06/16
926/1000 牛を殺すシュート   

先日、好きな落語の話になり、『牛ほめ』を挙げた。

与太郎が隠居から褒め言葉を教わり、それを覚えて牛の持ち主を褒めに行く噺である。噺家によって細かな違いはあるが、最後はおなじみのサゲに落ち着く。

 

それで先日観たサッカーワールドカップの日本対オランダ戦。試合を観ていてもっとも驚いたのが、オランダの監督がクーマンだったこと。

 

中学生の頃、私はサッカー部だった。1990年のイタリアワールドカップは夢中になって観ていた。当時のオランダは優勝候補。ファン・バステン、フリット、ライカールト、そしてクーマン。名前を聞くだけでワクワクしたものだ。

当時のオランダは優勝候補だったが、決勝トーナメント一回戦で後に優勝する西ドイツと激突し敗れたため、「早すぎる決勝戦」とも呼ばれた。

そのクーマンが今や代表監督なのである。

(あの大会はマラドーナも出ていたんだ)時の流れを感じる。

 

クーマンといえば、強烈なフリーキックで有名だった。異名は、「牛をも殺すシュート」

今の時代なら少々物騒な表現だが、それほどまでに威力のあるキックだったということだろう。

 

落語ではほめられ。

サッカーではシュートの威力に例えられ。

あのぼんやりしている牛も忙しい。

 

それにしても不思議なものだ。

中学生の頃にテレビで見ていた選手が、今もワールドカップの舞台に立っている。もちろんピッチの上ではなくベンチだが、その姿を見た瞬間、当時の記憶が一気によみがえった。

 

あの頃、夜更かしして試合を観たこと。

サッカーマガジンやサッカーダイジェストを何度も読み返したこと。

友達と誰が一番すごい選手か語り合ったこと。

クーマンの姿は、そんな記憶まで連れてきてくれた。

 

そんなことを考えながら、テレビの向こうのクーマンを眺めていた。あの日憧れた選手たちは歳を重ね、こちらもまた歳を重ねた。それでも、こうして懐かしい気持ちになれるのだから、ワールドカップというのはやはり特別な大会なのだと思う。


2026/06/14
924/1000 静けさも、ご馳走   

昨日、妻とニシンそばを食べに行った。

いつもごみ収集の仕事でお世話になっているお店だが、お客さんとして伺うのはたぶん10年ぶりくらいになる。

 

ここのニシンそばは忘れられない味だ。

 熱々のかけそばの上に、甘辛く炊かれたニシンがのっている。箸を入れるとほろりと崩れるほど柔らかく、その旨味が少しずつ出汁に溶け出していく。

 久しぶりにいただいたが、やはり美味しかった。

 

ふとメニューを見ると1,300円。以前は1,000円もしなかったような気がする。物価の上昇を感じるが、この一杯をいただいていると「高くなったな」というより、「この味を守り続けるのも大変だろうな」と思った。

 

そんなことを考えながら店内を見渡していると、別のことにも気が付いた。

 このお店にはテレビがない。

 音楽も流れていない。

 店内にあるのは、お客さん同士の小さな話し声と、そばをすする音だけだ。

 そして不思議なことに、お客さんは皆、周りに配慮しながらヒソヒソと会話を楽しんでいる。

 誰かに注意されたわけでもない。

 それなのに、その場にいる全員で心地よい空間を作っているような感覚がある。

 なんだか親戚の家に遊びに来たような懐かしさがあった。

 

観光地や飲食店へ行くと、多くの場合、音楽が流れている。

 賑やかさを演出するためなのだろうし、それが悪いわけではない。

 でも昨日は、ふと考えた。

 本当に音楽は必要なのだろうか、と。

 店内に流れていたのは音楽ではなく、厨房から聞こえる天ぷらを揚げる音だった。

 ジュワッという油の音。

 そばをすする音。

 小さな話し声。

 そして忙しく立ち働く店主の気配。

 そんな音たちが重なり合い、なんとも心地よい空間を作り出していた。

 

私たちはつい、何かを足すことを考えてしまう。

 音楽を流す。

 映像を流す。

 飾り付けをする。

 しかし、本当に価値を生むのは、足すことではなく引くことなのかもしれない。

 

余計なものがないからこそ聞こえてくる音がある。

 昨日のニシンそばはもちろん美味しかった。

 けれど、それと同じくらい、その店の静けさがご馳走だったように思う。

 食べ終わる頃に運ばれてきたそば湯をつゆに注ぎ、最後の一滴までいただいた。

 

なんとも贅沢な時間だった。


2026/06/12
930/1000 読めない世界   

サッカーW杯の結果で国中が熱狂する。

トランプ大統領の発言一つで株価が動く。

遠い中東で起きた出来事が、私たちの暮らしに影響を与える。

エルニーニョ現象が発生しているというのに、必ずしも冷夏になるとは限らないそうだ。

世界は複雑だ。

様々なものが絡み合い、一つの変化が思いもよらないところへ影響を及ぼす。

未来を正確に読むことなど、誰にもできないのかもしれない。

会社経営も同じだ。

設備投資がどう転ぶのか。

新しい事業がどう育つのか。

人との出会いがどんな未来につながるのか。

やってみなければ分からない。

今の一手が正しかったのかどうかも、その時には分からない。

後になって喜んだり、悔しんだり。

それが人生の面白みでもある。

そう考えると、息子の誕生日プレゼント選びも同じだ。

今年はベルトにしようかと思い、こっそり息子の部屋に忍び込み、引っ掛けてあったベルトのサイズを測った。

我ながら怪しい父親である。

喜んでくれるかどうかは分からない。

でも、分からないから考えるし、悩む。

世界情勢から息子の誕生日プレゼントまで。

私たちは毎日、答えのない問題に向き合っている。

読めない世界。

それでも、今を信じて行動する。

2026/06/10
928/1000 世界は合図を送っている   

夕方、事務所の自動ドアが誰もいないのにスーッと開いた。

みんなは「気味が悪いですね」と笑っていたが、なぜか私は嫌な気がしなかった。

 

むしろ、何か良いものが入ってきたような気がしたのである。

 

もちろん、センサーの誤作動かもしれない。風のいたずらかもしれない。

 

けれど私は最近、世界はいろいろな形でシグナルを送っているように感じる。

 

人との出会い。

ふと耳にした言葉。

思いがけない出来事。

そして、会社の軒先に作られた二つ目のツバメの巣。

 

それらは単なる偶然かもしれない。

しかし、人生を振り返ると、後になって「あれが合図だった」と思う出来事が案外多い。

 

だから私は、良いことは良いように受け取ることにしている。

社屋が建って6年目、初めて作られた二つ目のツバメの巣。

 

そして夕方に開いた自動ドア。

世界が何を伝えようとしているのかは分からない。

 

ただ私は、こう受け取ることにした。

「今がその時だ」と。


2026/06/08
926/1000 聞かれていることに答える   

聞かれていることに答える。

当たり前のことのようだが、これが案外難しい。

 

もちろん、何を聞かれているのか分からない時もある。あえて別の角度から話をすることもある。けれど、一番多いのは別の理由かもしれない。

 

自分の中にある「こうあるべき」という観念。

 

あるいは、自分を守りたいという気持ち。

 

そんなものが先に立つと、相手の質問よりも、自分の言いたいことの方が前に出てしまう。

 

「できますか?」

 

と聞かれているのに、

 

「いや、でも事情があって…」

 

と答えてしまう。

 

「どう思いますか?」

 

と聞かれているのに、

 

「実はあの時は…」

 

と説明を始めてしまう。

 

相手が求めているのは、まず答えなのに。

 

もちろん、背景や事情も大切だ。誤解を解きたい気持ちも分かる。私自身、そういう場面は少なくない。

 

しかし、聞かれていることに答えずに説明だけを重ねると、会話は少しずつずれていく。

 

そして話はこじれる。

 

社員との面談でも、家族との会話でも、お客様との打ち合わせでも同じだ。

 

まずは聞かれていることに答える。

 

説明はその後でいい。

 

最近、そんな当たり前のことを改めて意識している。

 

歳を重ねると、知識も経験も増える。けれど、その分だけ自分の考えに固執する危険も増えるのかもしれない。

 

だからこそ、ときどき立ち止まって確認したい。

 

私は今、相手の問いに答えているだろうか。

 

それとも、自分を守ることに夢中になっているだろうか。

 

会話が噛み合うかどうかは、案外そんな小さなところで決まるのだと思う。


2026/06/06
924/1000 犯人よりも気になるもの   

最近、Netflixで配信されている古畑任三郎にハマっている。

大学生の頃に夢中になって観ていたドラマだ。当時はもちろん、事件そのものが面白かった。どうやって犯人を追い詰めるのか、どこにほころびがあるのか。そんなことばかり考えながら観ていた。

ところが50歳を前にして改めて観ると、気になるものが違う。

犯人ではない。

時計である。

車である。

シャツである。

パンツである。

我ながら少々困ったものだ。

例えば、中森明菜さん演じる犯人が乗るポルシェ。近寄りがたい美しさと、自分の世界を持つ強さが感じられる。

堺正章さんのジャガーは、成功者らしい品格と少し高めのプライドが見え隠れする。

古手川祐子さんのBMWは、自立した大人の女性そのものだ。

笑福亭鶴瓶師匠はボルボに乗り、腕にはオリスのビッグクラウン・ポインターデイト。派手さはないが知的で堅実。推理小説家という役柄に妙にしっくりくる。

木の実ナナさんのフェラーリは、その存在感ごと役柄を語っているようだった。

もちろんドラマなのだが、車ひとつで人物像が伝わってくる。

そして古畑本人。

タグ・ホイヤーのセナモデルを革ベルトで着け、金色の自転車で現場に現れる。

普通の刑事なら違和感しかない。

しかし古畑だとなぜか成立してしまう。

バンドカラーシャツにサスペンダー。驚くほどハイウエストなスラックス。生地は豊かにドレープし、歩くたびに美しく揺れる。

今の流行にも通じるシルエットだが、どこか違う。

おそらく生地そのものが良いのだ。

まだ円が強く、日本に勢いが残っていた時代。良いものを長く使うという価値観も今より身近だったのかもしれない。

大学生の頃にはまったく見えていなかった世界である。

若い頃は物語を追う。

年齢を重ねると、その人が何を選び、何を身につけて生きているのかが気になる。

家財整理の現場でも同じだ。

残された時計や本棚、万年筆や車の趣味から、その人の人生を想像することがある。

どうやら私は、ドラマを観ていても同じことをしているらしい。

犯人を推理するより、その人がなぜジャガーを選んだのかを考えている。

少々職業病かもしれない。

そして思う。

今の時代のドラマでは、なかなかこんなことはできないだろう。

車種ひとつで人物像を語ることも難しい。時計や服装も、以前ほど雄弁ではなくなったように感じる。

けれど古畑の世界には、それが自然に存在していた。

時計も、車も、服も、単なる小道具ではない。

その人の人生や価値観を語る脇役だったのである。

私はもう犯人を追っているのではない。

あの時代の大人たちが纏っていた空気を、もう一度見ているのだ。

2026/06/04
922/1000 雨男疑惑   

晴れ男とか雨男とかいうのがある。

科学的な根拠はないのだろうけれど、不思議と雨が避けて行くような人もいるし、大事な日に限って雨を呼んでしまう人もいる。

 

昨日、会社が所在している鶴岡東工業団地のクリーン作戦が行われた。

実は令和8年度から、鶴岡東工業団地連絡協議会の会長を仰せつかっている。

 

新体制になって最初のイベント。

ところが雨だった。

前日も今日も晴れなのに、なぜかその日だけ雨。

 

思わず「もしかして俺、雨男だったのか」と苦笑いしてしまった。

参加してくださる皆さんのことを考えると、心の中で「ごめん」と呟く。

 

もちろん雨が降ったのは私のせいではない。

それでも何か役を引き受けると、自分ではどうにもできないことまで気になってしまうものだ。

 

それでも雨の中、多くの方に参加していただき、無事にクリーン作戦を終えることができた。

 

まあ、雨もまたよし。


2026/06/02
920/1000 吉兆の知らせ   

会社のツバメたちが無事に巣立った。

とはいえ、まだ遠くへ旅立ったわけではなく、日中は会社の周辺を元気に飛び回っている。巣は空っぽになったが、空を見上げると若いツバメたちが風を切りながら飛ぶ姿が見える。

先日、一羽のツバメが私の頭上すれすれをスーッと飛んでいった。

もちろん偶然なのだろうが、

「飛べるようになったよ」

と報告しに来たように見えた。

数週間前まで、巣の中で親鳥を待っていた小さな命である。それが今では自由に空を飛び回っているのだから大したものだ。

一方、自宅の中庭では小鳥が子育ての真っ最中だ。

毎日見ているはずなのに、いつの間にか木の枝に巣が作られていた。どこから材料を集めてきたのか、いつ完成したのかも分からない。人間が気づかないうちに、着々と準備を進めていたらしい。

そして気づけば、ひなが生まれていた。

そして庭の中を低く飛び回る。

ゴルフボールより一回り小さいくらいの体なのに、翼はしっかり鶯色で胸は真っ白。まだ頼りなさそうに見えるが、その小さな体にはちゃんと鳥の形ができあがっている。

とにかくかわいい。

 

巣から出ても親鳥は忙しそうに何やら世話を焼き、ひなたちは賑やかに鳴いている。その声の賑やかな事。

会社ではツバメが巣立ち、自宅では小鳥が育っている。

 

昔から、鳥が巣を作る家には福が来るとか、良い知らせの前触れだとか言われる。

鶯が巣を作ったのはこの20年で初めてだ。

だから私は、もちろん吉兆の知らせだと信じている。
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