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最近、子供の頃のことをよく思い出す。
私が育った街には、よく移動販売が来ていた。
八百屋や焼き鳥屋、北海道直送の牛乳屋。今思えば、小さな商店街が、そのまま住宅街を巡回しているような時代だった。
そして彼らは決まって音楽を鳴らしながらやって来る。
遠くから聞こえてくるメロディーで、「あ、来た」と分かるのだ。
中でも強烈に覚えているのが、水前寺清子 の「三百六十五歩のマーチ」。
暗くなり始める頃、遠くからあの軽快なリズムが聞こえてくる。
“ワンツー、ワンツー”
すると子供だった私は、なぜかそわそわした。
窓の外を見たり、外へ飛び出したり、「今日は何を売っているんだろう」と胸を躍らせたり。
結局、その車が何屋さんだったのかはよく覚えていない。
けれど、「ワンツー・ワンツー」のリズムだけは、今でも身体が覚えている。
今思えば、あれは物を売りに来ていたというより、“夜の入り口”を知らせに来ていたような気もする。
夕焼けが少しずつ青に変わり、家々の明かりが灯り始める頃。
どこか遠くで犬が吠えて、台所からは夕飯の匂いが漂う。そんな街の空気の中を、「三百六十五歩のマーチ」が妙に陽気に流れていた。
今は、しんと静かな街だ。
あの頃のように、音楽を鳴らしながら走る移動販売車もほとんど見なくなった。
窓を開ければ誰かの気配がした街は、ずいぶん静かになった。
便利にはなったのだと思う。
欲しい物はすぐ届くし、わざわざ外へ出なくても暮らしていける。
だけれど、あの「ワンツー・ワンツー」と聞こえてきた夕暮れの高揚感は、もうどこにもない。
子供たちの声。
夕飯の匂い。
西日の色。
家へ帰る時間の空気。
一番戻りたい時代とは、案外ああいう、何でもない夕暮れだったりするのかもしれない。
四畳半というのは、本来「自分だけの部屋」だったはずだ。
好きな音楽を流したり、本を読んだり、ちょっと一人になったり。そんな場所だったのだけれど、最近そこが妙に賑やかになってきた。
息子が新しいテニスラケットを買ってきて、私の部屋に置いた。さらにベースまで持ち込み、アンプにつないで弾き始める。
妻は妻で、自分の愛機である掃除機を置く。
娘は娘でアップライトピアノを置き、やはり弾く。
気づけば、もはや私の部屋ではない。
ただ、不思議と嫌ではない。
むしろ、みんなそれぞれ、自分の好きなものや大切なものを自然とここへ持ってくる。その感じが少し嬉しいのだ。
息子も、完全に一人の部屋で弾くより、誰かの気配がある場所の方がいいのかもしれない。娘もそう。妻の掃除機も、たぶん「ここなら置ける」という安心感なのだろう。
四畳半は狭くなった。
でもその分、家族との距離は少し近くなった気がしている。
お昼は、妻の作った弁当を食べている。
これが本当にありがたい。
外回りや現場仕事をしていると、「昼に何を食べるか」というのは意外と大きな問題だ。コンビニに寄るのか、どこかで食べるのか、混んでいる店に並ぶのか。忙しい日は、その選択すら面倒になる。
たまには「今日は何を食べようかな」と楽しみに働くのも悪くない。ラーメンでも定食でも、その土地の空気を感じる昼飯には、ちょっとした贅沢がある。
だけれど、毎日となると話は別だ。
弁当というのは、ただ食事を運んでいるだけではない。朝の時間を使い、こちらの一日を想像しながら用意してくれている。蓋を開けると、なんだか生活そのものが詰まっている気がする。
妻にとっては子供達の弁当を作るついでなのかもしれないが、毎日ちゃんと自分の分もあるというのは、やはりありがたいものだ。
しかも不思議なもので、弁当だと食べ過ぎない。午後も重たくならず、仕事に戻れる。結局、一番身体に合っているのかもしれない。
若い頃は、こういうありがたさが分からなかった。
毎日を静かに支えてくれているものほど、本当は贅沢なのだと。
最近、「存在者一中心の原理」という言葉に出会った。
どんな組織や共同体にも、“中心”は一つであるという考え方だ。
会社で言えば、
社長
部長
課長
係長
一般社員
それぞれに役割があり、それぞれに「中心」がある。
一般社員にとっての中心は直属の上司。
相談や報告も、その流れを通して行われることで、組織は安定して機能する。
しかし現代は、とにかくスピードが求められる。
「早い方がいい」
「直接聞いた方が効率的」
そうやって、いつの間にか“飛び越え”が増えていく。
もちろん悪気はない。
むしろ良かれと思っての行動だ。
しかし、それが続くと、少しずつ組織の足腰が弱くなっていく。
中間にいる人が育たない。
役割が曖昧になる。
責任の所在もぼやけていく。
これは会社だけの話ではないと思う。
家庭でも、地域でも、人が集まる場所には必ず“中心”がある。
子供から見れば親。
親から見れば、そのまた親。
縦のつながりがあるから、人は安心して立つことができる。
最近は「横のつながり」が重視される時代だけれど、実は縦のつながりも同じくらい大切なのだと感じる。
縦があるから、横も安定する。
根がしっかりしている木ほど、枝葉が自由に広がるのと少し似ている。
強い組織というのは、声が大きい組織ではなく、中心が定まっている組織なのかもしれない。
本日は、不法投棄防止の合同パトロールに参加してきた。
庄内地域の市町村、山形県、山形県警察、そして私たち廃棄物処分業者が連携して行っている活動だ。
私はもう20年以上、このパトロールに参加している。
その中でも今日は、少し印象に残る一日だった。
なんと本日は、鶴岡市の市長をはじめ、多くの議員の方々も現地に加わり、一緒にパトロールを実施したのだ。
私は市長とは別の地域を担当していたため、残念ながら同席することは叶わなかったのだが、市長自らが、乗用車のタイヤ68本が不法投棄されている現場を確認されたと聞いた。
不法投棄という問題は、単に「ゴミが落ちている」という話ではない。
地域の景観であり、自然環境であり、そこに暮らす人の意識そのものに関わっている。
数字だけ見れば「68本」だが、実際に現場に立つと、その異様さに驚かされる。
誰かが捨て、誰かが困り、最後は誰かが片づける。
その「最後の誰か」になってきたのが、私たちの業界でもある。
もちろん、現実にはもっと酷い現場もある。
しかし今日は、不法投棄の現場を見る一方で、「地域全体で守っていこう」という空気も感じた。
行政、警察、議員、そして現場の事業者。
立場は違っても、「この風景を守りたい」という思いは共通しているのだと思う。
庄内には、美しい海があり、山があり、田園風景がある。
だからこそ、それを守る活動もまた、地域に必要な仕事なのだろう。
20年以上続いてきたこのパトロール。
こうして多くの立場の人たちが一緒に動く姿に、少し心強さを感じた一日だった。