| 総合案内 | 0235-24-1048 |
|---|
| ゴミ受付 | 0235-25-0801 |
|---|
| 窓口 | 8:30〜11:45/13:00〜16:30 |
|---|---|
| 電話対応 | 8:00〜12:00/13:00〜17:00 |
| 定休日 | 日・祝・土曜不定休・年末年始 |
嫌なことは、できれば後回しにしたい。
見ないふりをしたい。
誰かがなんとかしてくれないかと思ってしまう。
時間が経てば悪化することは分かっている。
それでも先延ばしの誘惑は甘い。
私もそういう人間だった。
机の隅の書類。
返さなければならない電話。
判断を迫られる案件。
「今日は忙しいから」
「もう少し情報が揃ってから」
そうやって、心が少しずつ重くなる。
しかし、私は大きく変わった。
“そのうち”をやめる。
そして自分に問う。
「もし明日、自分が動けないとしたら?」
明日、判断も指示も出せないとしたら。
この案件はどうなるか。
この人は困らないか。
会社は止まらないか。
そう考えると、不思議と体が動く。
これは、この一年のしんどい時期、
思うように動けなかった時間があったからこそ
身についた感覚だ。
あの時間はつらかった。
焦りもあったし、自分を責めもした。
けれど、動けない時間があったからこそ、
「動ける今」のありがたさを知った。
しんどいのも、悪いことばかりではない。
嫌なことの多くは、やってしまえば30分で終わる。
放置すれば、状況はどんどん悪くなる。
すぐ動ける今、
こんな日々の先に何があるのか楽しみでならない。
うまくいっていないチームを見ていると、
能力の差よりも、別のことが気になってくる。
それは、リクエストの質だ。
誰もサボっているわけではない。
誰も悪意があるわけでもない。
けれど、どこか噛み合わない。
その正体はたいてい、
「頼み方」にある。
「ちゃんとやっておいて」
「確認しておいてほしい」
「前も言ったよね」
こうした言葉は、
リクエストのようで、実は曖昧だ。
何を、どこまで、いつまでに。
そして、なぜそれが必要なのか。
そこが抜け落ちている。
すると何が起きるか。
受け取る側は、自分の基準で動く。
頼んだ側は、自分の基準で評価する。
基準が違えば、ズレは必然だ。
うまくいっていないチームでは、
人は意外と「察してほしい」と思っている。
長く一緒に働いているのだから。
言わなくても分かるはずだ。
けれど、それは幻想だ。
大人同士であっても、
いや大人同士だからこそ、
言葉にしなければ伝わらない。
リクエストとは命令ではない。
「役割の明確化」であり、
「期待値の共有」だ。
私は何を目指しているのか。
あなたにどこを担ってほしいのか。
それができなければどうなるのか。
そこまで言って、ようやくチームになる。
うまくいっているチームは、
リクエストが具体的だ。
・期限がある
・基準がある
・理由がある
そして、断る余地もある。
「無理なら言ってほしい」
この一言があるだけで、
関係は対立から協働へと変わる。
対立が起きるのは、
悪い人がいるからではない。
リクエストが曖昧だからだ。
期待を言わない。
基準を示さない。
でも、結果には不満を持つ。
それが摩擦になる。
チームが整うとは、
優しい空気になることではない。
リクエストが明確になり、
期待値がそろうことだ。
そのとき初めて、
「人の問題」は「構造の問題」に変わる。
そして構造は、必ず改善できる。
昨日は、娘のスマホの機種変更に付き合った。
待ち時間は長い。
手続きはややこしい。
けれど、ああいう場所にいると、つい人間観察をしてしまう。
来店しているのは、若者よりも高齢の方が多い。
中には、タクシーで来た90代くらいのおばあちゃんもいた。
スタッフの若い女性が、ゆっくりと説明している。
おばあちゃんは、スマホの画面に顔をおもいっきり近づけて、うなずいている。
少し離れた席から、その様子を眺めていたら、ふと目が合った。
すると、そのおばあちゃんは、ちょっと照れくさそうに、はにかんだ。
その表情が、なんとも可愛らしかった。
IT難民、なんて言葉で片づけてしまえば簡単だ。
スマホショップは、ただの販売店ではない。
いまや、デジタル社会の駆け込み寺だ。
コロナ禍「エッセンシャルワーカー」という言葉が広がった。
生活を止めない人たち。
あのカウンターの向こうで、何度も同じ説明を、丁寧に繰り返す若いスタッフ。
この人たちもまた、生活を“つなぐ”仕事をしているのだと思った。
娘は新しい機種に胸を躍らせている。
おばあちゃんは、使い方を覚えようと一生懸命だ。
きっと一人暮らしであろうおばあちゃん。
今日から、半年に一度の個別面談が始まった。
もう6年ほど続けている。
そのタイミングで目にした、鶴岡市の最新の出生数は五百人台。
現在の高校生のおよそ半分だという。
数字は正直だ。
地方都市の現実を、静かに突きつけてくる。
この町で生きていく厳しさを、考えさせられる。
人口減少。市場縮小。人材不足。
並べれば、希望は薄く見える。
けれど、面談で一人ひとりと向き合っていると、
不思議と悲観だけにはならない。
目の前にいるのは統計ではなく、
意思を持った一人の人間だ。
人数は減るかもしれない。
だが、密度は高められる。
規模で勝てないなら、質で。
量で競えないなら、思想で磨く。
「打つ手は無限」
強がりではない。
やれることをやる、という姿勢のことだ。
人口は変えられない。
だが、社風はつくれる。
育成もできる。
嘆くより、磨く。
覚悟はできている。
今日も一人と向き合う。
打つ手は、まだある。
まさか自分がダンベルを買う日が来るとは思っていなかった。
6ヶ月のパーソナルトレーニングが終わり、今月からセルフトレーニングに入る。トレーナーから最後に教わった大切なルールがある。
無酸素運動のリミットは45秒。
その時間でしっかり追い込むには、自重だけでは足りない。負荷をコントロールできる器具が必要になる。そこでダンベルの出番だ。しかも、ダイヤルを回すだけで2.5kgから24kgまで重さが変わるアジャスタブル式。便利さに少し驚きながらも、これからはこの重さを自分で選んでいくのだと思うと、妙な覚悟が芽生える。
45秒という時間を知れたことは大きい。
ただ頑張るのではなく、体が本気で働ける「濃度の高い時間」がある。逃げずに向き合う45秒。短いけれど、確実に体に変化を起こす時間だ。
そしてもうひとつ、体について知ったことがある。
有酸素運動では、体の中で「活性酸素」が発生するということだ。
酸素を使ってエネルギーを生み出す以上、これは避けられない。活性酸素は細胞にダメージを与え、老化の一因になるとも言われている。運動は体に良い――そんな単純な話ではなく、ちゃんと負担も生まれている。
でも、ここからが面白い。
体はその負担を受けると、防御する力を高める。抗酸化力が上がり、修復機能が働き、ダメージに対応できる体へと適応していく。
負荷を受けて、回復し、以前より強くなる。
これは筋トレと同じ仕組みだ。
ただし、限度はある。長時間・高強度の有酸素運動を続けすぎれば、回復が追いつかず、ただの消耗になる。適応を超えた刺激は、成長ではなく負担になる。
体は、使えば適応し、使いすぎれば疲弊し、使わなければ衰える。
とても正直だ。
だから今日も、ダンベルを握る。
45秒だけ、しっかり追い込む。
そして適度に動き、ちゃんと回復させる。
体は変わり続ける。
だからこそ、その変化にきちんと関わり続けたいと思う。