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先日、上甲晃氏の講演会で、こんな言葉を聞いた。
「言い争いはあるが、聴き争いはない」
そしてもう一つ。
「話し方教室はあるが、聴き方教室はない」
なるほどな、と思った。
世の中には、上手に話す技術や、人前で伝える技術を学ぶ場はたくさんある。
けれど、“相手の話をどう聴くか”を学ぶ機会は、意外なほど少ない。
人はつい、「どう伝えるか」を考える。
しかし本当は、「どう聴くか」のほうが、人間関係に与える影響は大きいのかもしれない。
最後まで口を挟まずに聴く。
否定せずに聴く。
答えを急がずに聴く。
ただそれだけで、救われる人がいる。
仕事でも家庭でも、
人は「正論」を求めているようで、本当は「理解されること」を求めているのだと思う。
だから、聴いてもらえた人は落ち着く。
安心する。
そして今度は、相手の話も聴けるようになる。
“話す力”より、“聴く力”。
年齢を重ねるほど、その難しさと大切さを感じる。
昨夜、ふと観たくなって、The Stingを観た。
ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのあの名作である。
舞台は1936年のアメリカ、シカゴ。
今から90年前の世界だ。
しかし観ていて驚いた。
深夜営業のコーヒーショップにはレジがあり、人々は普通に電話を使い、バスが走り、鉄道が走り、自動車が走る。
街には広告があり、スーツ姿の男たちが酒を飲み、情報を集め、駆け引きをしている。
もちろんスマホもインターネットもない。
だけれど、「都市生活」というものの基本形は、すでに完成しているように見えるのだ。
もっと白黒映画のような、遠い昔の世界を想像していた。
しかし実際には、驚くほど“今”に近い。
むしろ、現代の私たちは、90年前に作られた都市文明の延長線上を生きているだけなのかもしれない。
そう考えると不思議な気持ちになる。
技術は猛烈に進歩した。
ポケットの中には世界中と繋がる端末が入り、AIまで登場した。
それでも、人間そのものはあまり変わっていない。
人は少し儲け話に夢を見て、夜更けにコーヒーを飲み、誰かを信用したり疑ったりしながら生きている。
90年前の映画なのに、登場人物たちが「昔の人」に見えない理由は、そこにあるのだろう。
むしろ、時代が変わっても変わらない“人間らしさ”の方に、私は驚かされた。明日は地域のお祭りで、その準備に駆り出された。
元々は平日に行われていたこの祭りだが、色々な思惑によってゴールデンウィークに移動された。
観光客を呼び込みたいという意図もあるのだろうし、時代に合わせた判断なのかもしれない。頭では理解できる。でも、現場に立つと、その変化はなかなかに重い。
子供の頃、この祭りは一大イベントだった。
あの独特の高揚感、屋台の匂い、町のざわめき。あの日だけは、いつもの町が別の顔をしていた。
けれど今は、申し訳ないがイベントとしてはオワコンと言わざるを得ない。
その意味や価値を語る人はおらず、形骸化した。
そしてもう一つ、当時の思惑に無かったものがある。
少子化と人口減少、そして核家族化だ。
主力となるはずの子どもと親たちは、ゴールデンウィークの方がむしろ家にいない。
出かける。帰省する。旅行に行く。
かつては学校を休校にしてまで地域全体で行っていたこのイベントも、今では人の良さと義務感で成り立つボランティア頼みと言えなくもない。
やりたい人がやる、というより、やれる人がやる。
その構図に、どこか無理が滲んでいる。
町の入り口に、祖父の寄贈した幟旗が立った。
それでもやはりそれは誇らしい。
祖父がどんな思いでそれを寄贈したのか、今となってはわからない。
ただ、こうして毎年きちんと立っているあたり、この町の律儀さみたいなものは感じる。
それでも祭りは続いていく。
中身が変わっても、形が先に残ることもある。
そしてその形に、あとから意味を探そうとするのが、私たちなのかもしれない。
明日の日曜日から、大型連休に突入する私たちの会社です。
4連休ということになりますが、一部の事業系ゴミ収集スタッフは、連休中も変わらず仕事をしています。
人が動く時、ゴミは出る。
私たちの会社が所在している鶴岡東工業団地は製造業の会社がほとんどですから、連休中はゴーストタウンのようにひっそりしています。
けれどその一方で、観光地、道の駅、ホテル、飲食店はかき入れどき。
人が集まり、にぎわいが生まれれば、その分だけゴミも出ます。
街の活動を止めないためにも、私たちの出番です。
連休中も収集に向かうスタッフがいるからこそ、地域のにぎわいは静かに支えられているのだと思います。
という事で、私も出社して、ゴーストタウンの主として思いっきり仕事をしようと計画しています。
静かな工業団地で過ごすゴールデンウィークも、なかなか悪くないものです。
人が動くところを支える側としての連休。
それもまた、私たちらしい過ごし方なのだと思っています
仕事上のミスというのは、できればしたくないものだ。
これはベテランになればなるほど、役職が上になればなるほど、なおさらそう思う。
経験もある。責任もある。判断も任されている。
だからこそ「間違えない人でいたい」と思ってしまう。
しかし社長もミスをする。
そしてその瞬間、ほんの一瞬だけだが、
できれば隠したいという衝動に駆られることがある。
これは正直なところだと思う。
けれども、ミスを隠すという選択だけはしてはいけない。
小さなミスほど早く伝える。
あっさりと告げる。
しっかり対応する。
そして引きずらない。
これに尽きる。
むしろ社長がそうしている姿そのものが、会社の空気をつくるのだと思う。
ミスを責める会社になるのか、
ミスから立ち上がる会社になるのかは、きっとここで決まる。
ミスをしない人になることより、
ミスを正しく扱える人でありたい。