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今日は、
昨年はチャレンジャーとして参加していた
鶴岡イノベーションプログラム2025の事業構想発表会に参加してきた。
発表は6チーム。
どのチームも、本当に素晴らしかった。
大感動・大興奮。
その言葉以外、見当たらない。
ビジネス構想というのは不思議なもので、
プランの完成度以上に、
「どれだけ本気か」「どんな人なのか」が、どうしても表に出てしまう。
上手く話そうとしても、
格好よく見せようとしても、
覚悟の浅さも、迷いも、逆に強さも、全部滲み出る。
だからこそ、あの7分間は嘘がつけない。
7分間。
たった7分。
けれどその裏には、5ヶ月分の時間が詰まっている。
考えて、壊して、また考えて。
否定されて、揺れて、それでも前に進んできた濃密な時間。
その積み重ねが、会場の空気を一気に変えていく。
昨年、自分がその立場だったから分かる。
あの場所に立つまでが、どれほど濃厚かということを。
今日は聞く側だった。
けれど、心はずっと前のめりだった。
「いいな」
「この感じだ」
そんな気持ちが、何度も胸の奥で湧き上がった。
挑戦する人の姿を見ていると、
胸が熱くなって、
ズドーンと前向きな気持ちに導かれる。
最後に、このプログラムの発案者である
野村総研のチーフが語った話がある。
大きな岩は、一人では動かない。
仲間が必要で、時間も力もいる。
けれど、
たった一人でも「動かす」と決める人がいなければ、
その岩は、永遠にそこにあるだけだ。
そして、
今日ここはゴールではなく、スタート地点なのだということ。
この言葉は、
私も昔、師匠から教えられた言葉でもある。
当時は、正直よく分からなかった。
けれど、年を重ね、立場が変わり、
事業や人に向き合うようになって、
ようやく腹に落ちてきた。
私自身、
昨年このプログラムで描いたプランを、
いまも温め続けている。
形は変わり、スピードもゆっくりかもしれない。
それでも、
あの時見据えた岩を、今も動かし続けている。
ビジネスは、チームで動かすものだ。
けれど、始まりはいつだって一人の覚悟だ。
今日の6チームの7分間は、
その「始まり」を、はっきりと見せてくれた。
昨日、漫才日本一を決める
M-1グランプリ が開催された。
そんな夜、親友からLINEが入った。
「M-1なんか、俺が緊張するわ〜」
思わず、少し笑った。
舞台に立つわけでもないのに緊張する。
けれど、その気持ちはよく分かる。
彼はエバース推しだった。
実は、私も息子も、やはりエバース推しだ。
決勝一回戦、エバースのネタは圧倒的だった。
空気を一気に持っていく力。
結果は一位通過。
「これはいったな」と、家の中の誰もが感じていた。
だが、M-1は最後まで分からない。
三組に絞られた最終決戦。
そこで一気に景色を変えたのが、たくろうだった。
たくろうのネタは、考えなくてもスッと入ってくる。
説明を待つ必要がない。
設定が提示された瞬間、もう頭の中に情景が浮かぶ。
気づけば笑っていて、
気づけば、その世界に入り込んでいる。
審査員の 塙宣之 さんが言っていた
「絵が見えるネタ」という言葉が、これほど腑に落ちたことはない。
その強度が、たくろうはずば抜けていた。
エバースの緊張感と構築力。
たくろうの没入感と自然さ。
どちらが上、という話ではない。
ただ、あの場面で、あの空気の中で、
一番深く刺さったのが、たくろうだった。
結果発表を見て、
息子は静かにうなずき、
私は少し悔しくて、それでも納得していた。
しばらくして、息子がぽつりと呟いた。
「M-1ほど、ライブで見たくなるものはないよね」
なるほど、と思った。
あの数分間は、編集もやり直しも効かない。
その場の空気、間、緊張、すべてが一度きりだ。
だからこそ、あれほど心を掴まれるのだろう。
この結果には、きっと誰もが納得だっただろう。
そして、わずか4分間のステージに、
どれだけの熱と時間を詰め込んできたのか。
そう想像した瞬間、胸の奥が、じんわりと熱くなった。
だから、他人事なのに緊張する。
だから、推しが負けても、拍手をしてしまう。
M-1は、笑いの大会でありながら、
本気で積み上げてきた時間を、
世代を越えて共有させてくれる夜なのだと思う。
プレゼントを贈る日といえば、誕生日かクリスマス。
だいたいそんなものだろう。
大人になると、どちらも少しずつ形骸化していくが、
子どもにとっては世界の重心がそこにある。
今から10年ほど前。
保育園に通っていた息子が、サンタさんにお願いすると言い出したのが、
ペッパーだった。
あの白くて、しゃべって、感情表現をするコミュニケーションロボット。
屈託のない笑顔で、
「サンタさんなら持ってきてくれるよ」と言う。
当時の価格は20万円弱。
さすがにそれは…と、大人の側は顔を見合わせたが、
本人にはそんな事情は一切関係ない。
そして迎えたクリスマスの朝。
玄関先に置かれていたのは、ペッパーではなく、
スーパーファミコンミニだった。
「……ペッパーくんじゃない」
その一言と一緒に、息子の表情が少しだけ曇った。
申し訳なさと、これで良かったのだろうかという迷い。
そこで、
「どれどれ」と父である私がテレビに繋いだ。
マリオカート。
ストリートファイター。
コントローラーを握った瞬間、
指が勝手に動く。
昔とった杵柄とは、よく言ったものだ。
必殺技を出しまくり、少し得意げにやってみせた。
すると、息子の反応が変わった。
「え、なにそれ!」
「もう一回やって!」
さっきまでの落胆はどこへやら、
目がキラキラに変わっていく。
「どうだ、やってみるか?」
そう声をかけた瞬間、
サンタは確かに、そこにいたのだと思う。
そのゲーム機も、数年後、
妻がそれと分からず中古屋さんに売ってしまった。
よくある話だ。
けれど、小林家の食卓では、
「あのゲーム、またやりたいね」
そんな話題が、たまにのぼる。
サンタが来なくなって久しい小林家。
今年は、そのゲーム機をもう一度買おうと思っている。
驚かせたいのは、子どもたちなのか。
それとも、
あの頃の家族の時間なのか。
プレゼントとは、
モノを渡す行為ではなく、
同じ時間を思い出せる記憶を残すことなのかもしれない。
そんなことを考えながら、
今年のクリスマスを迎えようとしている。
「偉い」という言葉には、
最初から二つの顔がある。
ひとつは、
行動に向けられる「偉い」。
続けている。
逃げずに向き合っている。
結果はともかく、ちゃんとやっている。
こういう場面で使われる「偉い」は、
人を前に進ませる言葉だ。
もうひとつは、
立場や自己評価に向けられる「偉い」。
もう分かっている。
ここまで来た。
教わる必要はない。
この「偉い」は、
少しずつ人を止めていく。
ややこしいのは、
同じ言葉なのに、
向きが変わるだけで意味が反転することだ。
人は誰でも、
自分を偉い場所に置きたくなる。
それ自体は自然なことだ。
ただ、その場所に居座り始めると、
空気が変わる。
質問が減る。
違和感が共有されなくなる。
そのうち誰も、
服の話をしなくなる。
裸の王様が生まれるときは、
たいてい静かだ。
偉さをまとおうとする行為は、
成熟ではなく、むしろ幼さに近い。
成熟している人ほど、
自分を「偉い側」には置かない。
分からない場所に立ち続ける。
「偉い」という言葉は、
使い方ひとつで、
背中も、足も止めてしまう。
だからこそ、
行動に向けて使うのがちょうどいい。
立場を守るための言葉になった瞬間、
その偉さは、
幼さに変わる。
やめることを、ネガティブに捉える人は多い。
やめた瞬間に、逃げたとか、負けたとか、そんな評価が貼られてしまう空気がある。
世の中ではよく
「打つ手は無限にある」
と言われる。
確かに、工夫すればできることはまだあるかもしれない。
やり方を変えれば、状況が動く可能性もある。
けれど、その言葉の裏で、
実は何も決断せず、ただ時間をやり過ごしている場面も少なくない。
打つ手は無限だと言いながら、
本当は手を打たず、
決断を先延ばしにしているだけ。
やめないという選択をしているようで、
実は何も選んでいない状態だ。
やめることは、簡単ではない。
これまで積み上げてきた時間、労力、関係性、期待。
それらを一度立ち止まって見つめ直す必要がある。
だから人は、
「もう少し様子を見よう」
「次はうまくいくかもしれない」
そう言って、今日を繰り返す。
それ自体が悪いわけではない。
続けることでしか見えない景色も、確かにある。
ただ、続けることが
思考停止になってしまう瞬間があるのも事実だ。
やめることは、逃げではない。
中断は、敗北ではない。
大切なのは、
やめるか、やめないか、ではない。
自分はどうなりたいのか。
そこを、しっかりと見つめているかどうかだ。
そのうえで、次の手を打つ。
その選択が「やめる」という決断であるなら、
それは大いに、実行する価値がある。
続けることにも、やめることにも、エネルギーがいる。
だからこそ、
目指す先を見据えたうえで選んだ決断には、意味がある。
やめるという行為を、
もう少し正面から評価してもいい。
それは後ろ向きな選択ではなく、
前に進むための、ひとつの確かな判断なのだから。