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昨日は会社の忘年会だった。
コロナ以降、こうした集まりの参加率はだいたい半分くらいだったが、
今年は28人中25人。
ほぼ9割のスタッフが顔をそろえた。
正直、それだけで十分うれしかった。
今の時代、社内の飲み会は敬遠されがちだ。
無理に集まらなくてもいい、という空気もある。
だからこそ、これだけ集まってくれたという事実は、
それだけで意味がある気がした。
特別なことは何もしていない。
余興もなければ、長い挨拶もない。
同じものを食べて、飲んで、
普段はゆっくり話せない人と、ぽつりぽつりと言葉を交わす。
ただそれだけの時間だ。
今回は、ひとつだけ自分なりの試みをしてみた。
お酌をして回ったのである。
これまでは、ほとんどやってこなかった。
今の時代に合わないかな、とか、
かえって気を遣わせるかな、とか、
そんなことを考えて、自然と距離を取っていたのだと思う。
けれど今回は、あえてやってみた。
席を立って、グラスを持って、声をかける。
たったそれだけのことなのに、
自分の中では少し勇気が要った。
やってみて分かったのは、
お酌というのは何かを演出する行為ではなく、
ただ自分から一歩、相手の輪の中に入っていく行動なのだ、ということだった。
仕事の話はほとんどしなかった。
深い話もしない。
それでも、グラスを合わせて
「お疲れさまです」と言葉を交わすだけで、
場の空気が少しゆるむ瞬間があった。
忘年会が終わり、静かになった店を出る。
肩肘張らないなんかいい忘年会だったな。
今年はインフルエンザが流行っているらしい。
ニュースでも、ラジオでも、やたらと耳にする。
実は当社でも、ちょっと厄介な症状が出ている。
熱が下がらない。
けれど、検査をするとコロナでもインフルエンザでもない。
いわゆる「カゼ」なのかもしれないが、どうにもすっきりしない。
本人も周囲も、なんとなくモヤモヤするやつだ。
予防については、もう耳にタコができるほど言われている。
手洗い、うがい、マスク、睡眠、栄養。
どれも大事なのは分かっている。
そんな中、今朝ラジオを聴いていて、ふと気になる話があった。
それは「口腔内のケア」。
口の中の環境を整えることが、感染症の予防につながる、という話だった。
ウイルスや細菌は、鼻や口から体に入ってくる。
つまり口の中は、体の“玄関”のような場所だ。
思えば、家の片付けも玄関から、というのは鉄則だ。
いきなり奥の部屋を触っても、うまくいかない。
まずは出入り口を整える。
空気の流れをつくり、人を迎える準備をする。
口腔内も、きっと同じなのだろう。
玄関が散らかっていれば、良い空気は入りにくい。
口の中が荒れていれば、体も余計な仕事を抱え込む。
予防とは、敵を完全に遮断することではなく、
体がきちんと戦える環境を整えること。
そう考えると、少し腑に落ちた。
やることは難しくない。
寝る前に、いつもより丁寧に歯を磨く。
歯茎をいたわるように、力を入れすぎない。
うがいを一回多くする。
それだけでも、玄関はずいぶん変わるらしい。
片付けもそうだ。
劇的な変化は、たいてい地味な一歩から始まる。
大げさな対策より、地味な習慣を。
体の玄関を整える。
そんな当たり前を、もう一度大切にしたいと思った。
毎年、この 大黒様の日 が近づくと、実家の母はそわそわし始める。
びっちり子を抱いたハタハタを魚屋さんに頼み、味噌田楽に仕上げてもらう。
台所では、コトコトと納豆汁の鍋が湯気をまとい始める。
ここ庄内では、12月9日は「大黒様のお歳夜(おとしや)」 と呼ばれる。
大黒様は、農の神さま、五穀豊穣や家内安全をもたらす“働き者の神さま”。
そしてこの日は、
「大黒様が年を越し、妻を迎える」 とされる特別な夜。
そのため豆や大根、ハタハタなど縁起の良いものをお供えし、
家族も同じ料理を食べて一年の無事に感謝する。
庄内に生きる人間にとって、季節の節目を知らせる大切な行事だ。
しかし、私たち家族は、その料理ができあがるのをただ「いただくだけ」。
だからだろうか。
毎年、忘れる。
母から事前に連絡がある。
「12月9日、分かるだろ」
と、念押しのように、しかしどこか嬉しそうに。
12月になると、仕事の予定やら会合やら、どうでもいい細かいことばかり覚えているくせに、
肝心の“母の大黒様カレンダー”だけは、毎年ぽっかり抜け落ちる。
そして今年もまた、その味をいただく。
子どもの頃から食べてきた、あの変わらない味。
やっぱり、うまい。
ふと、思う。
母がいなくなったら、この味はもう食べられないのだろうか。
毎年毎年、一度はそんな想像をして、また来年には忘れてしまう。
忘れるくせに、ちゃんと覚えている。
覚えているくせに、つい忘れてしまう。
大黒様のおとしやは、そんな不思議な日だ。
母が生きてくれているという当たり前のありがたさを、そっと教えてくれる“味噌田楽の味”でもある。
そしてこれは、
家族の幸せを支え続けてきた、母のプライドでもあるのかもしれない。
捨てるって、思っている以上に勇気がいるものです。
でも、その先に“軽やかに笑っている自分”を想像できたら、
そっと一つ手放してみたくなる――
そんな気がしています。
気がつくと、デスクの上に書類が積み上がっていました。
忙しさの名残のようにも見えるけれど、
どこかで心の重さにもつながっている気がします。
判断に迷ったり、集中できなかったり、
なんとなくモヤモヤするときは、
机の上も心の中も、同じように散らかっているものですね。
片付けの現場に立つたびに感じるのは、
“捨てられない”という一点が、
人の時間や気持ちを、そっと曇らせてしまうことがあるということ。
モノが積み上がった部屋には、
そこに住む人の息づかいまで、少し窮屈にしてしまう空気があります。
そしてその景色は、
もしかしたら自分の内側にも広がっているのかもしれません。
「これは、いまの私に本当に必要?」
そう問いかけてみると、
手放すべきものが、そっと輪郭を現してきます。
いらないものを一つ手放すと、
心の中に優しい風が流れ込んでくるようです。
次に向かう道が、すっと明るく見えてくる。
そんな瞬間があります。
捨てるということは、
過去を否定することではありません。
むしろ「ありがとう」を添えて手放すことで、
いまの自分が、より自然に、より自分らしく動けるようになる。
そういう働きがあるのだと思います。
デスクだけではなく、心にもいろいろ積もります。
期待に応えようとした気負い、
気づかれないように抱えた見栄、
昔の輝きにしがみついてしまう気持ち。
それらがふっと軽くなったら、
どれだけ歩きやすくなるんだろう。
年末が近づくと、気持ちが急き立てられるようになりますが、
こんな時こそ、モノも心もひとつだけ“捨てて”みるのもいいですね。
すると、止まっていた歯車が、そっと動き出すことがあります。
未来の自分がほほえんでくれるように、
いまの自分を、軽くしてあげる。
捨てるとは、そんなやわらかな選択なのかもしれません。
歯医者さんで、数ヶ月に一度の定期検診。
いつものように歯茎の状態をチェックしていただいたのですが、今日は先生からブラッシングについて、ややキツめの注意を受けてしまいました。
前回も同じ指摘を受けていて、この二ヶ月は意識して磨いてきたつもりでしたが……どうやら「つもり」だったようで、再びブラッシングのレッスンに逆戻り。
実はこれまでも、
「この歯ブラシを使ってくださいね」
と先生にすすめられていたのですが、どこかで
“歯ブラシごときで何が変わるんだ”
という素人根性が顔を出し、首を縦には振らなかった私。
しかし今回は、先生の少々厳しめの説明に観念して、ようやくおすすめの歯ブラシを素直に購入しました。
先生曰く、市販の歯ブラシは硬すぎるのだそう。特に男性は力が入りがちで、歯茎に負担がかかるとのこと。
年齢を重ねるほど大切になる“歯と歯茎”。
習慣の小さな油断が、気づけば大きな差になる。
今日からは素人根性は脇に置き、柔らかめの歯ブラシで丁寧に磨くことにします。
さて、次回の検診では胸を張れるかどうか。
これは未来の私への宿題です。