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昨日は、娘のスマホの機種変更に付き合った。
待ち時間は長い。
手続きはややこしい。
けれど、ああいう場所にいると、つい人間観察をしてしまう。
来店しているのは、若者よりも高齢の方が多い。
中には、タクシーで来た90代くらいのおばあちゃんもいた。
スタッフの若い女性が、ゆっくりと説明している。
おばあちゃんは、スマホの画面に顔をおもいっきり近づけて、うなずいている。
少し離れた席から、その様子を眺めていたら、ふと目が合った。
すると、そのおばあちゃんは、ちょっと照れくさそうに、はにかんだ。
その表情が、なんとも可愛らしかった。
IT難民、なんて言葉で片づけてしまえば簡単だ。
スマホショップは、ただの販売店ではない。
いまや、デジタル社会の駆け込み寺だ。
コロナ禍「エッセンシャルワーカー」という言葉が広がった。
生活を止めない人たち。
あのカウンターの向こうで、何度も同じ説明を、丁寧に繰り返す若いスタッフ。
この人たちもまた、生活を“つなぐ”仕事をしているのだと思った。
娘は新しい機種に胸を躍らせている。
おばあちゃんは、使い方を覚えようと一生懸命だ。
きっと一人暮らしであろうおばあちゃん。
今日から、半年に一度の個別面談が始まった。
もう6年ほど続けている。
そのタイミングで目にした、鶴岡市の最新の出生数は五百人台。
現在の高校生のおよそ半分だという。
数字は正直だ。
地方都市の現実を、静かに突きつけてくる。
この町で生きていく厳しさを、考えさせられる。
人口減少。市場縮小。人材不足。
並べれば、希望は薄く見える。
けれど、面談で一人ひとりと向き合っていると、
不思議と悲観だけにはならない。
目の前にいるのは統計ではなく、
意思を持った一人の人間だ。
人数は減るかもしれない。
だが、密度は高められる。
規模で勝てないなら、質で。
量で競えないなら、思想で磨く。
「打つ手は無限」
強がりではない。
やれることをやる、という姿勢のことだ。
人口は変えられない。
だが、社風はつくれる。
育成もできる。
嘆くより、磨く。
覚悟はできている。
今日も一人と向き合う。
打つ手は、まだある。
まさか自分がダンベルを買う日が来るとは思っていなかった。
6ヶ月のパーソナルトレーニングが終わり、今月からセルフトレーニングに入る。トレーナーから最後に教わった大切なルールがある。
無酸素運動のリミットは45秒。
その時間でしっかり追い込むには、自重だけでは足りない。負荷をコントロールできる器具が必要になる。そこでダンベルの出番だ。しかも、ダイヤルを回すだけで2.5kgから24kgまで重さが変わるアジャスタブル式。便利さに少し驚きながらも、これからはこの重さを自分で選んでいくのだと思うと、妙な覚悟が芽生える。
45秒という時間を知れたことは大きい。
ただ頑張るのではなく、体が本気で働ける「濃度の高い時間」がある。逃げずに向き合う45秒。短いけれど、確実に体に変化を起こす時間だ。
そしてもうひとつ、体について知ったことがある。
有酸素運動では、体の中で「活性酸素」が発生するということだ。
酸素を使ってエネルギーを生み出す以上、これは避けられない。活性酸素は細胞にダメージを与え、老化の一因になるとも言われている。運動は体に良い――そんな単純な話ではなく、ちゃんと負担も生まれている。
でも、ここからが面白い。
体はその負担を受けると、防御する力を高める。抗酸化力が上がり、修復機能が働き、ダメージに対応できる体へと適応していく。
負荷を受けて、回復し、以前より強くなる。
これは筋トレと同じ仕組みだ。
ただし、限度はある。長時間・高強度の有酸素運動を続けすぎれば、回復が追いつかず、ただの消耗になる。適応を超えた刺激は、成長ではなく負担になる。
体は、使えば適応し、使いすぎれば疲弊し、使わなければ衰える。
とても正直だ。
だから今日も、ダンベルを握る。
45秒だけ、しっかり追い込む。
そして適度に動き、ちゃんと回復させる。
体は変わり続ける。
だからこそ、その変化にきちんと関わり続けたいと思う。
この冬、私にとってはっきりとした変化があった。
毎年、足の指が凍傷レベルの地獄の霜焼けに悩まされてきた。
歩くのがやっとで、革靴を履くことができない。
そんな冬が、ずっと当たり前だった。
中学生のころからだ。
医者にも行った。
けれど、治らなかった。
「これはもう体質なのだろう」と、いつしか思うようになっていた。
しまいには、素人判断で
「逆にいいのでは?」と、毎朝足を水につけるという、
今思えばかなり無謀なことまでした。
それでも、治らなかった。
だから今年、霜焼けが出ていないことに、
実はまだ少し戸惑っている。
暖冬だったから、という話ではない。
自分でも、そこははっきり分かっている。
私がやったことは、ただ一つ。
グルテンフリー。
ラーメンも、パンも、うどんも食べなかった。
お菓子も口にしなかった。
劇的な健康法を始めたつもりはない。
誰かに強く勧められたわけでもない。
ただ、試してみただけだ。
エビデンスがあるかどうかは、正直分からない。
霜焼けとグルテンの因果関係を、私は説明できない。
けれど、身体は正直だった。
何十年も当たり前のように起きていた不調が、
今年は、起きなかった。
理解は遅れてくる。
変化は、先に起きる。
治らないものと付き合う、という感覚が、
いつの間にか「仕方のないもの」に変わっていたのだと思う。
でもそれは、本当に仕方のないことだったのだろうか。
この冬、消えたのは霜焼けだけではない。
「どうせ治らない」という、長年の思い込みも、
一緒に静かに消えていた。
霜焼けがない冬は、たぶん、これまでとは別の季節だ。
ロックスターには、つい神秘を求めすぎてしまう。
ずっと不良で、心に傷を負っていて、社会にうまく回収されず、それでもどこかで救われたいと願っている。そんな存在であってほしい、と。
90年代、スマッシングパンプキンスは、まさにそういうロックスターだった。
時代のトップランナーでありながら、完成しきらず、常に迷いの中にいるように見えた。
答えを示す存在というより、問いを抱えたまま鳴っているバンド。
その不安定さが、当時の空気と強く共鳴していた。
けれど今、ロックスターを取り巻く環境は大きく変わった。
サブスクの時代だ。
アルバムを通して聴くよりも、プレイリストやレコメンドの中で、曲は文脈ごと流れていく。
この時代に重要なのは、「どんな音か」以上に、「これは何者か」が一瞬で伝わることだ。
そんな中で、ヤングブラッドがスマパンをフィーチャーする。
そこには、はっきりとサブスク時代のマーケティング構造があるように感じた。
若い世代の現在形の音楽に、90年代の文脈を重ねることで、世代をまたぐ入口を作る。
アルゴリズムの中で名前を循環させ、忘れられない存在で居続けるための設計だ。
正直に言えば、音楽的な結びつきはそれほど強くないように感じた。
ヤングブラッドは、グラムロックの王子様的な佇まい、外に開いた自己表現の人で、直線的で、今を切り取るタイプのロックスターだ。
一方でスマパンは、内側に沈み込み、迷いを抱え込む音楽だった。
だから「だしにされた感」を覚える人がいても、不思議ではない。
それでも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
むしろ、少し嬉しかった。
スマパンは、過去の伝説として消費されていたとしても、
ヤングブラッドの現在形の曲の中に、「文脈」として呼び出されている。
それは、彼らが音楽をやめなかったからだ。
評価が割れても、神秘が薄れても、迷いの中で鳴らし続けてきた。
時代を切り取るのは、やはり若者だ。
ロックスターが、より一層巧妙なマーケティングを仕掛ける時代。
ロックもまた、生き残りをかけているのだ。
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