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人生には、どうしても避けられない出来事がある。
突然の災害、身近な人の病、思いがけない別れ。
努力してきたことが崩れることもあるし、理由のわからない試練にぶつかることもある。
そんなとき、心は簡単に揺れる。
「なぜ、こんなことが起きるのか」
「何を間違ったんだろうか」
そう考えてしまうのは当然だ。
でも、ひとつだけ信じていたいことがある。
人生に起こることには、すべて意味があるということ。
その意味がすぐにわかるとは限らない。
苦しい渦中にいるときは、とてもじゃないけれど受け止められない。
それでも、そんなときこそ大切なのは、目の前の小さなことに心を向けること。
たとえば、挨拶をする。
深呼吸をして、自分の体に意識を戻す。
汚れた場所をひとつ、きれいにする。
そんな些細なことが、やがて心の軸になる。
感情に振り回されそうになりながらも、日々を丁寧に生きる。
ただそれだけのことが、やがて光を呼び込んでくれる。
「運が開ける」とは、
棚からぼたもちが落ちてくるような話ではない。
誰かから与えられるものでもない。
自分の人生を、自分の意思で引き受けること。
その姿勢の先に、運は自然と拓かれていく。
人生の波にのまれそうなときほど、
静かに、丁寧に、小さなことを大切にしよう。
それが、未来を変える力になるから。
アフリカに伝わるとされる、あるカバの話を紹介したい。
ある日、カバが川を渡っていると、突然、何かの拍子に片目を水に落としてしまった。
それに気づいたカバは、驚き、慌てふためく。
「大変だ、目がなくなった!」
バシャバシャと川の中をかき回し、必死に探す。
水をかき、足で蹴り、あちこちをひっくり返しながら探し続けた。
けれど、目は見つからない。
焦れば焦るほど、川の水は濁り、底は見えなくなっていく。
カバはやがて、息も絶え絶えになり、その場に座り込んだ。
そのときだった。
かき乱されていた川の水が、ゆっくりと静まり、澄んでいく。
濁りが引いて、底が見えるようになったその瞬間、
カバは自分の片目を、すぐそばに見つけたのだ。
焦っているときには、見えるものも見えない。
呼吸おけば、見失っていたものに、ふっと気づけることがある。
そんな教訓を含んだ、静かで美しい寓話だ。
私たちも、日々の生活のなかで、
何かを「なくした」と感じてバタバタと探し回ることがある。
時間や気持ちの余裕、自信、信頼……。
失ったと思って必死になるあまり、
余計に状況を悪くしてしまう。
けれど、そんなときこそ一呼吸。
無理に動かず、まずは立ち止まってみる。
すると、不思議と霧が晴れるように、
本当に大切なことが見えてきたりする。
今日もうまくいかないことがあるかもしれない。
けれど、焦らず、騒がず、カバのようにすとんと座ってみよう。
澄んだ水の中に、思いがけない“答え”が潜んでいるかもしれないのだから。
ありがたいことに、
家財整理のお仕事、猛烈にいただいております。
ご高齢の親御さんの施設入居、相続後の実家整理、空き家の売却準備など
それぞれに背景と物語があって、私たちはそのひとつひとつに向き合いながら、
丁寧に、誠実に、汗をかいております。
それにしても、この暑さ。
真夏の空家や屋根裏は、まるで灼熱地獄。
現場では、帽子・水・塩飴が命綱です。
そして正直に言うと…
実は今回の案件、3月にはお見積りしてたんです。
あの涼しい頃に作業できていたら、身体にはちょっとやさしかったな〜、なんて。
でも、スケジュールの都合もあるし、なにより「今やらなきゃ」というお客様の事情もよく分かる。
だからこそ、しっかり応えたいと思っています。
今週も、スタッフ総出で現場対応中。
ちょっとスケジュールが心配になるほどですが、ひとつひとつ、しっかりと仕上げていきます。
「まだどうしたらいいかわからないけど…」という段階からでも、
お気軽にご相談くださいね。
私たち、お片づけのプロ集団が全力でサポートします。
今日も空を見上げてから、車に乗り込みます。
ああ、あの風がちょっとだけ、涼しく感じられた気がする──なんて思いながら。
「継続は力なり」とはよく言うけれど、
実際に何かを続けている人は、案外少ない。
なぜ、多くの人が途中でやめてしまうのか。
よく挙げられる理由としては、たとえば
① 目標が曖昧
② 結果が出ないことへの焦り
③ 周囲からの反対や無理解
④ 完璧主義ゆえの自滅
なるほど、と思う。
どれも、胸に覚えがある。
「これ、何の意味があるんだろう?」と立ち止まりそうになったり、
アクセス数が伸びなくてモヤモヤしたり、
「そんなの続けてどうするの」と言われて心がぐらついたり。
そして何より、“ちゃんとやらなきゃ”が重荷になる瞬間がある。
それでも、僕は今、もうすぐ600日。
ブログを毎日書いている。
正直、ここまで続くとは思っていなかった。
なぜ続けられたのか
それはたぶん、「絶対」をやめたから。
「今日書けなかったら、明日2本書けばいい」
「抜けたらそこで終わり」じゃなくて、
「抜けても、また続ければいい」
そんなふうに思えるようになったのが大きい。
完璧じゃなくていい。
中身がなくても、たった一行でもいい。
“空白にしない”ことだけが、ひとつの目安だった。
そしてもうひとつ。
最初は「誰かに届けたい」とか「発信力をつけたい」と思っていたけれど、
途中からは「昨日も書いたから、今日も書こう」それだけになっていた。
それって、意外と悪くない。
派手なご褒美はないけれど、
続けてきた日々が、じわっと自信になっている。
何かを続けられるかどうかって、
意志の強さじゃなくて、“自分に少し優しくなれるかどうか”なのかもしれない。
ごみ収集は、夏が一番きつい。
匂いも強くなれば、重さも増す。
それでもこの季節が来ると、僕の中ではある記憶が蘇る。
今日、すれ違った収集車から、あの匂いがした。
ちょっと甘くて、鼻をつく、あの独特のにおい。
人によっては顔をしかめたくなるような匂いかもしれない。
でも、僕にとっては、誇らしい匂いだった。
40年前の夏休み。
家の窓から、向かいの旅館にごみ収集車が来るのを眺めていた。
作業していたのは、父の会社の若いスタッフたち。
父本人はいなかったけれど、彼らの姿にどこか“父の背中”を重ねていた。
祖母はその時間になると、冷蔵庫から瓶のサイダーを取り出す。
タオルでくるんで、それを収集車の作業員にそっと渡す。
僕は、その冷えたサイダーが飲みたくて仕方がなかった。
でもそれは、いつも、黙々と汗を流す大人たちのものだった。
僕はその収集車に乗ることはなかった。
けれど、その匂いとともに芽生えた憧れの気持ちは、今も残っている。
そして今──
収集車に乗っているのは、僕のスタッフたちだ。
昔の僕が憧れたあの姿に、今は自分の仲間が立っている。
その事実が、どこかくすぐったくて、少しだけ誇らしい。
あの匂いは、何も変わらない。
だけど、それを見つめる僕の立ち位置は、確かに変わっている。
あの夏のサイダーのように、
冷たくて、少し遠くて、だけどちゃんと心に沁みている──
そんな記憶とともに、今年の夏も始まっている。