| 総合案内 | 0235-24-1048 |
|---|
| ゴミ受付 | 0235-25-0801 |
|---|
| 窓口 | 8:30〜11:45/13:00〜16:30 |
|---|---|
| 電話対応 | 8:00〜12:00/13:00〜17:00 |
| 定休日 | 日・祝・土曜不定休・年末年始 |
高1の息子と楽器屋に言った。ベースを買うためた。
私は高校一年のときにギターを始めた。
だから、息子が高校の音楽クラブでベースをやりたいと言った時、始めるには、いいタイミングだと思った。
二人で楽器屋へ行き、壁一面に並ぶギターやベースの前に立つ。息子は急に無口になり、目だけが忙しく動く。何本か触るうちに、一本、やけに手に馴染むものがあった。
値札を見る。
……予算の二倍。
ん〜どうしよう。
一旦、家に帰ろう。
ショップにいると、冷静な判断ができなくなる。これは自分の経験でよく知っている。
家に戻り、妻に相談する。三人で話す。すると息子が、「俺も出す」と言って、貯めていた虎の子を出すと言う。
私はこれまで、何を手にするかで、その後の取り組みが変わる場面を何度も見てきた。
「一本目は妥協するな」
これは、一本目に限った話ではないのかもしれない。
予算も、分相応も、もちろんある。
その中で妥協すると、それは後悔になる。
とくに、趣味の物なら、なおさらだ。
それで、決めた。
一本目にしては、かなり上等なベースを手に入れた。
家に帰ってアンプにつなぐ。
ぼん。
低くて、丸い音。
ここからだな、と思った。
チューニングメーターの使い方、アンプのセッティングやフォームを軽く教える。私がギターを始めた頃は、チューニングができて音が出るようになるまで一か月かかった。それが息子は一時間。
息子の学校で出された課題曲は、モンゴル800の「小さな恋のうた」だという。
発表は、一か月後。
それを見ていた末の娘が言った。
「私、ドラム買ってほしい。」
……なるほど。
うれしい悲鳴、というやつかもしれない。
このベースが、埃をかぶって、しまい込まれるか。
それとも、一生の趣味になるのか。
それは、まだ分からない。
私もかつて、父に連れられて、仙台の楽器屋でギターを買ってもらった。
その日のことを、私は今でもはっきり覚えている。
今日が、息子にとっても、
そんな一日になってくれたらと思う。
今日は、市役所と税務署に行った。
用事自体は、よくある事務的なものだ。
けれど建物に入った瞬間、手続きより先に、ある風景が目に入った。
多い。とにかく高齢の方が多い。
椅子に座り、番号札を握り、窓口を見つめている背中が並んでいる。
「こちらはLINEで登録していただいて、予約してからになります」
「マイナンバーの暗証番号、分かりますか?」
窓口の向こうで、担当の方がやさしい声で聞いている。
もちろん、高齢の方は分かっていない。
それは怠けているからでも、努力が足りないからでもない。
ただ、その仕組みが、その人の人生の速度と噛み合っていないだけだ。
後ろを見ると、列はどんどん伸びている。
誰も怒っていない。
誰もサボっていない。
みんな真面目で、ちゃんとしようとしている。
だからこそ、そこに漂っていたのは苛立ちではなく、
全員が、少しずつ気の毒な空気だった。
印象的だったのは、説明している担当者の方の表情だ。
彼は相手にこの情報が伝わっていないことを理解している。
私たちも、高齢者の依頼者が多い。
中には、自分の住所が言えない人もいる。
カレンダーに書いてある電話番号を見て、
「これ、何の番号だったかな」と言いながら、
粗大ごみの依頼を忘れて電話を日に何度もかけてくる人もいる。
誰かの助けがないと、
もう手続きどころか、
日常そのものが成り立たない人たち。
そしてその「誰か」は、
家族だったり、近所の人だったり、
ケアマネさんだったり、
そして時々、私たちだ。
実は私自身も、電子申請にチャレンジはする。
けれど結局、紙で出していることが多い。
正直に言えば、それが本物なのか、詐欺なのか、
一瞬わからなくなることもある。
分かっていない人。
分からせられない人。
ついていこうとしている人。
今日の窓口は、これからの社会の仕事風景そのものだった。
仕組みが先に進み、
人の速度が、少し遅れている。
その間に立って、
今日も誰かが、説明し、聞き、支えている。
便利で気の毒な社会だ。
鳥獣被害という言葉の中には、クマの被害も含まれている。
庄内でもクマの出没情報は珍しくなくなり、ニュースになるたび、空気が一段重くなる。
イノシシやシカは畑の話になるが、
クマは命の話になる。
クマにも命があるということは、誰しもが思うところだ。
それでもクマは、ニュースになり、警戒情報が出て、出動要請が出て、銃が向けられる。
その事実の前では、正しさはいつも、いくつも並ぶ。
そんなことを考えながらも、
我が家の軒先には、今日もスズメがやってくる。
十羽ほどだろうか。
実は鳥の餌を撒いている。完全にこちらの都合なのだが、それがまた可愛い。
懐くわけではない。
近づけば一斉に飛び立つ。
それでも必ず来て、来ると決まって賑やかだ。
ピチピチと鳴きながら、
小さな体で場所取りをして、
誰かが追い出されて、誰かが割り込んで。
ある日、妻がふと気になって、スズメの寿命を調べた。
一年ほどだという。
その数字を見たとき、少しだけ、スズメの見え方が変わった。
一年の命。
毎日来ているこの中に、
もう春を迎えられないやつもいるのかもしれない。
そんなことを考えたこともなかった。
今日も雪の上に、意外と大きな足跡を残して、スズメたちがやってきた。
人と野生の関係は、いま、そのちょうど難しいところに来ている気がする。
それでも雪の上の小さな足跡を見ていると、
被害の前に、
管理の前に、
まず「生きている」があるのだと、思わされる。
本日、仕事始め。
一年が、静かに動き出した。
朝から降っていたのは、ぼたぼたと重たい雪。
いかにも庄内の冬らしい雪だな、と思いながら会社に向かう。
けれど駐車場は、すでにきれいに除雪されていて、すんなり車を停めることができた。
休み中に、スタッフが手を動かしてくれていたのだ。
こちらが何かを言わなくても、
必要なことを感じ取って、動いてくれる人がいる。
これはもう、はっきり言っていいと思う。
すみません、自慢です。
仕事というのは、結局のところ「人」だ。
制度や仕組みも大切だけれど、
最後に現場を支えるのは、こういう行動だと思っている。
正月に帰省していた娘たちは、それぞれに東京へ戻っていった。
家の中は、少しだけ静かになった。
寂しさがないわけではないが、
それぞれの場所に戻っていくのが、今の家族のかたちなのだろう。
今回の正月は、久しぶりに家族そろって紅白歌合戦を観た。
「この人たち、みんな同じ顔に見えるんだけど。俺だけ?」
そんな一言に、娘たちが一斉に反応する。予想通りのリアクション。
それでも、
「やっぱり、えーちゃんはかっこいい」
となると、そこは意見がそろう。
そして小林家恒例のモノポリー大会も、例年通り。
今年は、私が大勝ち。
流れが来る年というのは、こういうところにも表れるらしい。
勝った負けたはさておき、
同じテーブルを囲んで、同じ時間を過ごすこと自体が、もうイベントなのだ。
紅白も、おせちも、モノポリーも。
みんなで観る。
みんなで食べる。
みんなで楽しむ。
だから、もっと楽しい。
派手な正月ではないが、
こういう時間があることを、素直にありがたいと思う。
帰り際、娘たちをグッとハグして見送った。
特に言葉は交わさなかった。
家族がそれぞれの場所へ戻り、
会社では、信頼できるスタッフと一緒に、新しい一年が始まる。
静かだが、足元はしっかりしている。
今年は、そんなスタートだ。
年始から、ひとつだけ続けていることがある。
それはギターだ。
ギターを始めたのは高校時代。
そもそものきっかけは、とてもささやかなものだった。
母親がフォークミュージックが好きで、
「弾いてくれたら嬉しいな」
子どもの頃に、そんなことをぽろっと言ったのを覚えている。
その一言に応えたくて、ギターをやってみようと思った。
だから本当は、アコースティックギターを弾きたかった。
ところが高校に入って、クラスメイトに
「ギターって何から始めればいい?」
と聞いたら、返ってきたのは
「俺の家来い」
の一言。
そこで初めて見せられたのが、エレキギターだった。
当時はバンドブーム。
ギターを手にする若者は山ほどいた。
そしてその多くが、きっとそうだったように、
“何者かになろう”としてギターを持っていたんじゃないかと思う。
気がつけば私も、最初のきっかけなんてすっかり忘れて、
クラスメイトと一緒に、何者かになろうとしてギターを練習していた。
結局、何者にもなれないまま、
あの頃の時間はあっという間に終わってしまった。
ただ、不思議なことに、
その火種だけは消えなかった。
大した上達もしないまま、
ギターはずっとそばにあって、
年月だけが静かに過ぎていった。
そして今年。
その燻りに、いったん終止符を打とうと思った。
ギターを手放そう。
そう決めたのだ。
数年前に購入した、とびきり素敵な一本がある。
壁に飾っておくには、あまりにももったいない。
相当に吟味して選び抜いた、素晴らしいギターだ。
それをインテリアにしてしまうのは、どうにもかわいそうだった。
手放そうと考えたとき、
ふと、ひとつのことに気がついた。
――自分は、ギターで何者かになろうとしていたんじゃないか。
高校時代のマインドセットが、
ギターを弾くことそのものを、
つまらなくしていたんじゃないか。
手放そうとしなければ、
きっと一生気づかなかったことだと思う。
そう気づいた途端、
不思議とギターが素直に弾きたくなった。
正月は、毎日ギターに触れていた。
そして、
「なぜギターを弾きたかったのか」
その初心を、ようやく思い出した。
今年の目標のひとつに、
両親(私の両親、妻の両親)四人を招いて、
長寿のお祝いをする、というイベントがある。
その場で、
母が好きだった「なごり雪」を
ソロギターで弾く。
そんな目標が、自然と生まれた。
何者かになろうとする気持ちは、
形を変えながら、これまでずっと自分の中にあった。
けれど、その気持ちが
すっかり消えていることに、
手放すことで気がついた。
何者かになる必要はない。
たぶん、もうなっている。
自分として生きる。
それは、自分を受け入れられた時に始まるのだろう。
今年は、そんな元年なのかもしれない。
なんとも言えず、
爽快な気分でいる。