| 総合案内 | 0235-24-1048 |
|---|
| ゴミ受付 | 0235-25-0801 |
|---|
| 窓口 | 8:30〜11:45/13:00〜16:30 |
|---|---|
| 電話対応 | 8:00〜12:00/13:00〜17:00 |
| 定休日 | 日・祝・土曜不定休・年末年始 |
こんな話を聴いた。
苦難というのは、「我よし」の是正であると。
「我よし」とは、わがままのこと。
自分の思い通りにしたい、自分が楽をしたい、認められたい——。
そんな思いが心の奥に積もると、いつしか私たちは、自分の都合でしか世界を見られなくなる。
その我を正そうとする働きこそが、苦難だと思う。
人は、苦しみから逃れたいと願う。
けれど、苦難は“罰”ではない。むしろ、“磨き”だ。
その中で「このままではいけない」と心の底から願ったとき、
奇跡は静かに起きはじめる。
奇跡とは、外から舞い降りるものではなく、
内から湧き上がる「変わろうとする力」なのだ。
人は切羽詰まらなければ、本気になれない。
刀の付け根にある“切羽(せっぱ)”は、刃と柄をつなぐ小さな金具。
ここが詰まりすぎると、刀は抜けない。
人もまた、思い込みや我が強すぎると、動けなくなる。
ほんの少しの“遊び”余白があるからこそ、刀は抜け、心も動く。
余白とは、他人を思いやるスペースであり、自分を省みる静けさでもある。
奇跡がなかなか起きないのは、
私たちがその余白を失ってしまうからだ。
我を手放し、心の純度が高まるとき、
世界はそっとこちらに歩み寄ってくる。
その瞬間を人は“奇跡”と呼ぶのだろう。
奇跡は遠くの出来事ではない。
それは、切羽の先——
我を削ぎ落とし、心に余白を残したその静かな瞬間にこそ、
確かに息づいている。
今日は、鶴岡市内のとある空き家整理に伺いました。
依頼者さんは神奈川から帰省されていて、「実家の片付けもそろそろ終盤です」と笑顔でお話ししてくれました。
実はこの家、販売からわずか10日で買い手がついたそうです。全国からWEBで空き家を探す人が増えていて、鶴岡の物件にも次々と問い合わせが来るのだとか。画面越しの出会いから、次の住み手へと受け渡されていく。そのスピード感に、私も驚かされました。
作業の合間に「ウチの娘が横浜駅で働いています」と話したところ、「横浜駅もどんどん変わっていますよね」と会話が広がり、親同士のように盛り上がりました。
さらに、ご両親が買った立派なお仏壇を処分することになり、「この飾りだけ持って行こうかしら」と依頼者さん。そこで私は、「お盆や彼岸の時だけでも出して飾ってあげると、きっと喜んでくださるのではないでしょうか」とお話しすると、「そうね」と明るい表情をされていました。暮らしの形は変わっても、大切なものは受け継いでいけるのだと感じます。
家を整理することは、モノを減らすだけではなく、そこに流れた時間や家族の思い出を次につなぐ作業でもあるんだと、改めて思った一日でした。
お片づけ業というのは、季節の波に左右される仕事です。真冬もそうですが特に夏。暑さでお片づけは敬遠されます。真夏の炎天下に汗だくで物を運び出す姿を想像しただけで、「涼しくなってからにしよう」と思うのも無理はありません。
毎年8月は売り上げが落ち込むのですが、今年は猛暑の影響もあって、なかなかの落ち具合でした。正直なところ、こちらも「この暑さで片付けは酷だよな」と思わざるを得ませんでした。
ところが夏が過ぎ、風が涼しくなってきた途端に状況は一変します。お客様からのご依頼がわんさか殺到。「やっぱり今だ!」とばかりに皆さん一斉に動き出すのです。
特に今年は、農家さんからのお仕事が熱い。倉庫の整理や農機具まわりの片付けなど、立て続けにご依頼をいただいています。やはりお米の高騰が影響しているのかは不明ですが、収益の波が追い風となり、私たちにも恩恵があったようです。
忙しさに追われるのは相変わらずですが、ふと気づけば「忙しい忙しい」と口にすることが少なくなっていました。昔は当たり前のように漏れていたのに、最近は言わなくてもやっていける。ちょっとした余裕が出てきたのかもしれません。そんな自分が気に入っています。
この週末は、無印良品酒田がある「いろは蔵パーク」で開催されたイベントに参加し、まるで店員さんのように2日間そこに身を置いていました。おかげさまでイベントは無事に終了し、たくさんの方に足を運んでいただけたことに感謝しています。
合間には、人の流れを眺めたり、パーク内をぶらぶら歩いたり。会社と自宅の往復から少し離れた世界に身を置くと、それだけで気分転換になります。
パーク内にはカルディコーヒーファームやスーパーの「といちや」もあり、といちやのお弁当やお惣菜は鶴岡市民には新鮮。お寿司なんかは港町らしい品揃えで、さらに焼き鳥の「ぼんじり」まであって、これがまた美味しい。実は大好物なので、思わずニヤけてしまいました。カルディのオリジナルブレンドの豆も初めて試してみたのですが、ほのかに甘い香りがして、予想以上に好みの味。こういう小さな出会いが嬉しいものです。
さらに面白かったのが、ストレスチェックの機械。試しに計測してみると、副交感神経100%。どうやらかなりリラックスしていたようです。まさにタイトル通り「副交感神経100%の週末」。肩の力を抜いて、食べて、歩いて、笑って、仕事の一環みたいなイベントだったのですが、そんなひとときが暮らしにとって大切なアクセントなのだと感じました。
こちらの写真は、当社のラテラルキャビネットの引き出し。
今月から始めた、ちょっとした実験の風景です。
通常、個別フォルダーには書類をそのまま入れていくのが一般的です。しかし今回私たちが取り組んでいるのは、B5の紙を三等分にして、それをクリップでまとめ、フォルダーに収納するという方法。
ペーパーレス化が著しい昨今に、わざわざ紙を用いる情報管理、社内でも異論がありました。ですが電子化には時間がかかる。その時間がもったいないと判断し、まずは実験的に始めてみたのです。
情報をタイムリーに、そしてコンパクトに小分けして収集し、保管し、必要に応じて活用する。そうしてみると、紙の手触りや視覚的な一覧性がむしろ強みになっていくことに気づきます。
つまり、ファイリングとは単なる保存ではなく、「情報を資源として生かすこと」。引き出しの中で眠るフォルダーの一枚一枚は、ただの紙切れではなく、現場の知恵と工夫が詰まった“資源”なのです。
ペーパーレスか、紙かその二者択一ではなく、いま必要なのは「どう資源に変えるか」という視点なのかもしれません。